2浪が決まった4月の最初の授業の前、村瀬先生が私を廊下で呼んでいた。
誰もいない部屋に呼ばれて、こうおっしゃった。
「敗因は何や?」
敗因が分からないから困っているんです、と答えると、
村瀬先生はにっこり笑ってこうおっしゃった。
「あのな、同じ予備校に2年来ても、授業は同じやで!
お前の成績は貼り出されとるから知っとる。
同じ授業聴いても、もう全部覚えとるやろ。
河合塾の黒本(全統マーク模試の過去問)と駿台の青本(駿台マーク模試の過去問)とセンターパック全てを制覇せい!
授業来なくてもチューターには言っといたるから。」
これは有難かった。時間を浪費しなくても済むうえに、特別扱いまでしてやると言って下さったのだから。20代最後の村瀬先生のお取り計らいだった。
私は半年間、地理の時間は自習室にこもり、黒本と青本をずっと解いていた。
その結果が「地理B 94点」である。
正確には、グラフを上下に読み間違えたから97点であった。
村瀬先生との思い出は、全統マーク模試(現在の共通テスト模試)を始め、いろんな成績を見てもらって、私がその校舎で1位の成績を取ったときには大いに褒めてもらった。
そして、数学は東進ハイスクールの澤村光弘先生だった。