自己紹介①
(誕生から20代まで)
自己紹介を2つに分けて作成してみました。
誕生日から20代までの自己紹介①と、30代から2021年までの自己紹介②です。
みおちゃんってどんな人?を知っていただけるかなと思います。
岡山県岡山市に誕生しました。
昭和46年生まれです。
第二次ベビーブーム世代、またはバブル世代ともいわれています。
教師の父と専業主婦の母との間に長女として産まれました。
《幼少期》
年子の妹ができて、早々にお姉さんになりました。
よくしゃべる、活発な子だったと思います。
家はピリピリとした緊張感があって、いい子にしなければ、と思うものの何かしらやらかしていたような気がします。
静かにおとなしくできないのでよく怒られていましたね。
父が座禅をするので静かにと言われ、(そんなの子供には(私には?)ムリムリ)
できなくて外に出されたりはしょっちゅう。
祖父母宅へお泊まりした後は、自宅に帰宅するのがいやで、祖父母宅へ戻りたいと泣いたことを覚えています。
良い思い出は忘れているのかな?
大泣きしている小さな自分が思い出されます。
母親が園に提出していた日記があるのですが、そこには日常生活での私の様子が綴られています。
どうやら自分の記憶以上に活発な子だったようです。
私の育て方が悪いのかしら、
自分の性格がこんなだから、とか。
母が自分を責めて、自己嫌悪に陥る様子がほぼ。
それ、違うよ〜
私の個性。本能のままに行動し発言する私の性格なのよ。
と、今なら伝えられます(笑)
(七五三。自分らしさ満開の頃)
《学童期》
学校生活は楽しかったです。
勉強には興味がわかなかったけれど、
音楽と体育は大好きでした。
友人と過ごす時間がなにより
楽しい日々でした。
6年生のときに弟ができて、
可愛がったり、よくお世話もしました。
《思春期》
ザ・反抗期
教員をしていた父には家の中にも校則をもちこまれ、息苦しかったですね。
親に意見を言う、理由を説明する、は許してもらえず、大声で怒鳴られるばかり。
「おめー、あほんだらー」
が私の呼び名になっていた時期です。
もう話はしない。
顔は合わせない。
と心に決めて、ここから会話のない時期に入りました。
母も二言目には「お父さんに聞いてから。」と。
向き合ってもらえない、
相談相手にならない。
ずるい、いつも逃げる人、という見方をしていました。
そんな家庭生活でしたが、
中学、高校も学校は楽しかったです。
先生や友人にも恵まれて。
何かしら役員もしていました。
学級委員、部長、生徒会役員とか。
下に妹、弟と3人いたので、
清く正しくグレませんでした。
根が真面目なので(笑)
高校時代に3年間応援合戦の振り付けを担当したことで、将来はエアロビクスのインストラクターになる!と決めて、体育科へ進学しました。
短大時代はモダンダンス部へ。スポーツクラブでアルバイトも始めました。
マハラジャへ行って踊ったり、歌って踊る地元のキャンペンガールもちょこっとやりました(笑)
≪20代≫
スポーツクラブに入社し、様々なレッスンや業務をさせてもらいました。
ダンス教室にも通い、休日には県外にレッスンを受けに行くか、ダンスのリハーサル、と休みなく動いていました。
(今では考えられない体力です)
(年2回は舞台で踊っていました)
相変わらず、家では帰宅が遅い、と締め出しは続き、、、
(遊びたい時期、ときはバブル絶頂期)
この頃には正座での長時間にわたる説教にも慣れ、「来るならこいや~」と(笑)
説教されている最中によそ事を考え巡らすスキルも身につき、たくましく(?)なりました。
幼少期には泣いて謝ることはあったと思いますが私は怒られてばかりで、なにもできないダメ人間、、、
などと思うことは1ミリもなく、ふざけんな!と。
謝らない、けど自分の言いたいことは言う、勝気な娘でした。
可愛くないですね~
娘にいたらいやだわ(笑)
甘えかたを知らない、
頼るのも苦手
彼女にするにも可愛くない(笑)
両親との関係は良好とはいえない
独身時代でした。
自己紹介②へ続く。