そう、最近はろくに文章を書いていない。夕食を共にする事への承諾の意味を表す「りょ」という極めて短い文章や、母親に対し「あなたの息子はソリティアの腕前をグングン伸ばしています1分以内にクリアする事がランクインへの最低条件となりました。」という大学生活の進捗状況を知らせるメールで打つことくらいでしか文章を書いていない。最近では実家に帰ると母親とソリティアのクリアスピードを競う。俺の母親はオントシ52歳ながらも非常に機敏な動くでソリティアをソリティアする。まるで若き頃、父親のソリティアを丹念にソリティアしていた事を連想させてくれるように器用な腕前を見せてくれる。そんな母親へと近況を知らせる文章は就職活動をしていた頃の俺の文章力に及ぶべくもなく至って陳腐なものである。母親は改行の無い文章を疎む。父親は「社会力」という到底定義し難い能力の自己研鑽に勤しむ。その二人の夜のソリティアの結晶である俺は今日もセックスがしたいと思う。どれほどの崇高な思想を持つ劇作家もつまりは頑愚な性欲に翻弄され集結する。みたいなことを、昨日映画館で観たミッドナイトインパリという映画に登場したシェイクスピアが言っていた。例え俺が、「人生はただ歩き回る影法師、哀れな役者だ。 出場の時だけ舞台の上で見栄をきったりわめいたり、そしてあとは消えてなくなる。」と力説しようと、「りょ」とピザを食べる事に対して合意しようと、とどのつまりはセックスがしたいんですよ。別にしなくてもいいんですけど。
常に他者に対して何かしらの影響力を持っていたい。そんな影響力のせいで人生が変わってしまうかもしれないし、それともその日食べる夕食が和食から洋食へと変わってしまうだけかもしれない。その多寡に関わらずどうしても影響力は持っていたい。(人に左右されてばっかじゃ悔しいから。)だから物心ついた頃から随分と体裁を気にしている。そんなもんに捉われるもんは愚者だと思われるかもしれませんが、案外人って見てくれで動かされるもんやと思う。高身長高学歴高収入の3Kだってそうでしょ。そんなアホな人にほど影響を与えたい。アホな人はアホな人なりにプライドを持って生きればええねん自分がいかに矮小な人間であるかをしっかりと分かった上で誇り高く生きて行けばそれなりに楽しい人生が送れると思います。そんな訳で俺は俺の事が好きだし、自分の事が好きな人間も好きです。ただ、「ほんまうちブス…整形したい…。」とかなんとかキメ顔をプロフィール画像にしながら言ってみたりしちゃう人間はドアホ認定。自分を卑下すんのは勝手やけどそういう事はブログでやれよバーカ!っていつも思っています!こういうアホ丸出しの文章でも自分のブログだから許して下さいねお願いします。