流れに任せる、という言葉があります。流れに乗る、という言葉もあります。この2つ、一見似ているようですが決定的に違う点があるのです。それはなんだか、お分かりになりますか?「任せる」と「乗る」この言葉の違いを、よく考えれば答えは、すぐに分かると思うのですが…さて、その答えを明かす前に「流れ」というものを、一考してみましょう。例えば、テレビで野球観戦をしていると解説者が、「今は巨人に流れが傾いている」というようなコメントを口にするのをよく耳にしますが…では、そのとき巨人に向いた流れとは一体、どんな流れなのでしょうか?逆に、相手チームに対して「この回で、流れを引き戻さないと手遅れになります」というようなことを言う場面にもたびたび遭遇します。ちなみに、野球解説者は、占い師ではありません。なのに、何をさして、流れと言ったのでしょう。いわゆる運気みたいなものでしょうか?もし、そうだとしたら…解説者は、自分の経験則から目に見えない、その運気の存在を確信していることになります。事実、野球の場合流れを変える、価千金の逆転ホームランとかがあるとその後、往々にして逆転した方が勝利したりします。これは何も、野球やスポーツに限ったことではないと思います。私たち人間の人生にも好不調の流れがあるはずだからです。■ここで、冒頭の答えのタネ明かしをします。流れに任せるこの場合の流れは少なからず「他力」ですよね。そして、流れに乗るの流れは、「自力」ですよね。ゆえに、「他力」に頼りすぎると活路はひらけないそれが答えだ!実は、そうではありません。問題なのは…「他力の選択」を自ら決断したのか、それとも惰性なのかという点が重要なのです。というのも、人は「他力」を主体的に選択するのが苦手な生き物だからです。多くの人は、あきらめからつまり、「選択の放棄」を選択することで結果的に、「他力」に身を任せているだけなのです。それでは、引き寄せの法則の観点からして望みや理想など、到底現実化するはずありませんよね。「選択の放棄」を、自ら習性化しているようなものですから。その点、「自力」の場合は違います。おのずと自ら選択する性質をはらんでいるからです。なので、望みや理想を決断し行動する動力がもともと備わっていることになります。人生の勝者、と言われてるような人は「流れを掴む」というようなことをよく口にします。これは、「他力であれ」「自力であれ」自分で流れを見極め、その流れを自主的に選択する、ということを意味します。たぶん、人生の勝者はいかなる人生の逆境にあってもその先の選択を、決して他人任せにはしない。むしろ逆境の中から、飛躍するための光明を自ら探し出し、自らそれを選択する。そういう人のことを、人生の勝者と言うのだと私は思っています。なぜなら、人生の勝者になるような人は知っているからです。人生という流れの中にある、苦難や逆境とは飛躍するために用意された天からのギフトだということを…だから、人生の勝者は不調な流れ(失敗)の中から飛躍の糸口を見つけるのがうまいのでしょう。逆に、人生の敗者は、飛躍のチャンスに対してつねに背を向ける習性が身についているような気がします。だから、今回のタイトルに「流れに身を任せすぎていては、活路はひらけない」と、記したのです。私たちを取り巻く「流れ」を理解する上で簡単な例が、風向きかもしれません。追い風か、向かい風か西風か、東風か海からの風か、山おろしの風か例えば、強風が吹きすさぶ場所でじっと身を縮めていることを選ぶか、それともその場所に、風力発電所を作ろうと選択するか自己の飛躍、という点では結果が天地ほど違ってくると思います。■ちなみに、弾みとはどういうものですか?■弾みとは、一度下がってつけるものではありませんか?いったん下がるからこそ、弾みは増すはずです。ならば、一歩後退を余儀なくされた失敗や困難の中からそれまでの自分とは、違った考え方を探し出しそれを「弾みの原動力」にしてはいかがでしょう。そういう決断を習性にして行動し続けていたらおそらく、あなたも…「流れを自在に操れる達人」になれるかも…ゆえに…【運命は、自分で創っていける】と、私は信じているのです。
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