大好きなMyGO!!!!!初期曲を無理くり一つにまとめて好きなところとかを述べていきたい。MyGO!!!!!はもう思いっきり歌詞に振り切っていこうとおもう。

順番としては、以下のように。

①各曲で気に入ってるところ

②2曲の共通点

③2曲の連続性


一応書いておくと、半年前に書いたこれ↓を土台に文章を再構成してみた。

過去の感想(迷星叫)


  迷星叫


  世界とズレてる、その真ん中にいるのに

交差点の真ん中急ぐ人に紛れて

僕だけがあてもなく漂うみたいだ


世間とズレている、世界とズレている。これが燈ちゃんの大きな苦しみだと思う。

私が燈ちゃんより年を重ねているから、というわけではないが1人1人の見える視野というのはどうしても限られると思う。燈ちゃんの抱えるズレというのは所属する集団、つまりは高校のクラスメイトとかそういった類のものだと思う。

そんな私も所属していた集団、お仕事を一緒にする人とかそういった人とのズレを感じて孤独を感じていたのでそういった点で共感はできる。


自分の知っている世界、その集団の真ん中にいようとしているはずなのに。ただ「みんな」のようになりたいだけなのに。


自分はみんなからズレている。


燈ちゃんの場合は感性が、私の場合は能力が(小声)。冗談はさておき、自分自身の違いが許容できない苦しみが感じ取れる。


また今日も声にならずに 飲み込んだ感情

下書き埋め尽くして

ああ そうやって何千回夜を越える


世界とのズレから生まれる苦しみは声にならない、みんなに言えるはずなんてない。だから下書きを埋め尽くす。


ここで、燈ちゃんが偉いなって思ったことはちゃんと言葉にしているであろうこと。(下書きだけど)

私は苦しみを声にできず、何なら言葉にもできず1人でどんどん「未知の」苦しみに囚われていた。言葉にするのは大事、ということでこの感想を拙い言葉で書いている。


閑話休題、1人で抱え込んだ感情は何千回もの夜を越えるほど数年、十数年にわたって燈ちゃんの心にあり続けたものだったのだろう。


  燈ちゃんの言葉はファンの心の隙間を埋めて

僕のため それだけ それだけだったんだよ

出口探し 溢れただけの言葉

君の心へ届いて 隙間をちょっと埋めるなら


下書きを埋め尽くした言葉たちは、僕=燈のためだけの言葉だった。苦しみから抜け出すためだけの言葉。そんな言葉たちは、多くのMyGO!!!!!ファンに届く歌となった。私もその一人。


燈ちゃんとは歳が離れていて状況も異なるが、似た苦しみを抱えてる人が頑張ってる、それだけが何となく心の支えになることもあるんだなとこの曲を通して感じた。背中をドンと押すような応援歌も好きだけど、この曲は常に隣にいてくれる感じ。それが好き。


  輝かしい明日を推奨しないでくれ

問われることは何故か 将来のことばかり

目の前にいる僕の今はおざなりで

華やぎに馴染めないこの心を無視して

輝かしい明日を推奨しないでくれ


いかにも高校生っぽい歌詞だなと思う。その反面、この歌詞っていくつになってもそのまま当てはまるような気もしてる。

結婚したら?子どもができたら?将来の家は?老後は?

大人になって「輝かしい明日」かはともかく、将来のことばかり話して中々その「今」はおざなりになっているという点では普遍性のある歌詞だなと。



  星団から飛び出す迷い星、MyGO!!!!!の始まり

夜空にチカチカ光る頼りない星屑

躊躇いながらはぐれて

ああ 彷徨っているそれが僕


みんなとのズレに悩みながら日々を過ごしていた僕。星屑からついに離れて、動き出した。


僕になる それしかそれしかできないんだよ

誰の真似も上手くやれないんだ


みんなのようにはなることができない。どんな自分であっても、自分以外にはなれない。だからこそ彷徨う星に自分をあてがって、みんなの星屑から飛び出して違うことを認め始めた。


よろめきながらでも もがいているんだよ

迷い星のうた


違うことを認めただけだから、自慢できる自分ではないだろう。それでも今を懸命に生きながらもがきながら自分の道を進みだした。迷い星とは、燈ちゃんのことであり、MyGO!!!!!メンバー全員のことでもあるだろう。5つの迷い星が偶々新たな5重星となって今放つことのできる輝きを見ているのがMyGO!!!!!の存在であり、ライブなのだと思う。





 名無声

  僕のままで生きてみたい

足りない何かを求めてくより

僕のままで生きてみたい


遠くにある理想より たった今に敏感に

遠くにある理想は理想として、でも今の自分で今を生きたい。

理想に対して足りないピースを埋めて近づくというのが恐らく一般的な考え方で、それに対してこの歌詞だと足りないままでもそのままでというのはかなり難しい理想論であるように思える。その宣言ができるのは、燈ちゃんが自分でも気づいていないだろう「強さ」なのではないかと思う。



  本当の自分はどこにいる?

本当の気持ちを加工しなくちゃ

「みんな」にはなれないみたい


たったひとつのアカウントじゃ表せないように

いくつもの僕をもっているけど

どこにもいない そんな気持ち


いかにも思春期っぽい感情、表現だなと。愛音ちゃんのアドバイスが効いた「アカウント」の表現がいい感じ。

大人になると多分当たり前のことなんだろうけど、自分の感情を素材そのままで表現がする人は中々いないだろう。そして、自身の感情の中から表現を削りだしたり新たにトッピングしたり。そうして余った削りカスや使われなかった素材は自分の中に積み上がっていく。だから外の世界の自分はたくさんあって、本当のうちに秘めた自分は世界のどこにもいない感覚になるのだろう。これを書いてる自分も本当の自分か?というとどこまでがそうだろうか疑問である。


  何者でもない1がある

僕が口ずさんだ歌は誰も

知らないけど ここにある

0じゃない1つを主張するため

僕はここに立っていたい

何者でもないままで


何者でもない凡人なら、同時代に生きる多くの人の中で0に等しく無視できる存在であろう。しかし、そんな存在でもミクロで見てみると、膨大な「1」がいる。

偉大な1人になって注目されるのではなく、取るに足らない1人そのままで自らがここにいることを主張することに意味がある。言葉を飾って大きくなるのではなく、小さな1人のそのままの自分がそこにいることが自分を見失わないためには必要なのだろう。



  歩いていける強さがほしい

必ず叶う未来とか 確かな答えがないのなら

おどおどでも グラグラでも

歩いていける強さがほしい


希望が見えているならそこに向かって歩みを進めることは比較的楽だろう。(比較的、ね)

しかし、そんな希望が確かでなくても人生進めないといけない。おどおど・グラグラでも歩かないといけない。それには不安がつきまとうし、それでも動くのはかなり労力がいることだろう。

人が本当に困り果ててしまった時に取る行動は、停止だと私は思う。そこから動くのは容易ではない。だからこそ、不安を覚えながらも動き続けるというのは結構、無闇であるように見えても私はもっと褒められてもいいかなと思う。


  煌めく空、そのままの色で

僕が見つけた今日の煌めく空

彷徨う雲 泳いでいく

綺麗すぎる色で飾らないで

そのままを抱きしめていたい

何者でもない僕で


歌詞の「僕が見つけた今日の煌めく空」がどんな空かはわからない。

が、例えとして夕暮れ時を出してみよう。どんな空か?


夕焼け、茜色、燃えるような赤。

輝く一番星、薄っすら見える三日月。

入道雲、モクモクした白、飛行機の航跡。

赤のキャンパスに一筋の白。


私一人の想像でも様々な景色、一生懸命飾り付けた表現を出そうとすれば出てくる。しかし、実際に夕暮れ時を見た時に見える景色、空の色にこんな表現が真っ先に出るとは思えない。

見た・感じた景色そのままを表現することがそのままを抱きしめることであると思う。

そして、この景色はその時の自分の写し鏡であり、そのままの景色を抱きしめることこそが、本当の自分を見失わないために必要なのだろうと思う。






 2曲の共通点

  ①今

MyGO!!!!!の多くの歌において、外せない要素は「今」に着目した歌詞だろう。この2曲で言うならば、


迷星叫

問われることは何故か 将来のことばかり

目の前にいる僕の今はおざなりで

華やぎに馴染めないこの心を無視して

輝かしい明日を推奨しないでくれ


名無声

違うよどこかに向かう途中じゃない

今日の僕は前日譚じゃない


この文章を書いている段階で、「端程山」という過去を振り返る曲が出ているが、やっぱりMyGO!!!!!は「今」に着目した歌詞は核の一つだろう。


  ②「みんな」になれない自分

まず歌詞を引っ張ると、

迷星叫

交差点の真ん中急ぐ人に紛れて

僕だけがあてもなく漂うみたいだ

流行りの歌はいつも僕のことは歌ってない

ねえビジョンの中から笑いかけないで


名無声

ちょうどよく笑って「それわかる」とか

何故うまく言えないんだろう

本当の気持ちを加工しなくちゃ

「みんな」にはなれないみたい


「みんな」みたいになれない苦しみは、迷星叫から名無声にわたって連続的に表現されている。

迷星叫の方で、星団の例えを出したがいわゆる星団とは下の写真のような星の集まりである。中央に大きな白い星が見えるようだが、実際は無数の小さな星が集まって見えているものである。

遠くからみると、「みんな」は一つのものに見えるが、その実、それぞれの星が集まっているだけなので、全く同じ「みんな」などはいない。そのことに気づいたかはわからないが、みんなと違う自分を認めたのが迷星叫だと思う、しかしながら名無声でもみんなになれないことへの悩みは続いているようである。

球状星団

  0じゃない1つを主張する

ついでなので、もう一つ上の星団の写真を使って言葉を綴っていく。内容は「0じゃない1つを主張する」という歌詞について。
この星団の写真から1つ星が減ったとしても見た目には全く変わらない写真になるだろう。上で述べた表現だと0に等しく無視できる存在ということである。しかし、大きな望遠鏡で拡大してみるとその星団の中には1つ1つ個別の星があり、それはその星がいた事を観測者に知らせてくれる。そんな小さく見える星のように、自分が確実に今居るんだ!ということを主張したいということが「0じゃない1つを主張する」ということなのだと解釈する。


 2曲の連続性

迷星叫において、

僕のため それだけ それだけだったんだよ

出口探し 溢れただけの言葉

君の心へ届いて 隙間をちょっと埋めるなら

こんな僕でもここにいる 叫ぶよ


という歌詞がある。自分のためだけだった言葉が誰かに届いてほんの少しでも救いになる、ということが分かった。

しかし、名無声の歌い出しが


何が僕にできるかわからないけれど


となっている。これは、迷星叫が意図したものではなく、偶々起きた(と少なくとも燈は考えている)ので改めてバンド活動をする時に迷いが生じたのだと思う。2曲の共通点で、「みんな」になれない自分を挙げたように似たようなところで歌詞がグルグルしている部分もある。

しかし、迷った結果、名無声の後半で


何が僕にできるか

わからないけど

心がぎゅって動いた

それを声にしたい


と1つ結論を出している。

結局、燈自身できることは自分の思っていることを言葉にすることが1番という迷星叫での経験に立ち戻っているのだと思う。


 最後に

これ書いてる日が、2024/7/24

6thライブ直前!ということでめっちゃ楽しみ!!

新たな曲がたくさん増えてもいつまで経ってもこの2曲は私にとって道しるべのような特別な存在、ずっと寄り添っていてくれると確信してる。