
2008年12月13日、墨田で夫と暮らす私に父から電話が入りました。
父は酷く取り乱していて、とにかく帰ってきて欲しい、の一点張りでした。
数日前から弟が会社を休んで、近くの病院に検査に入っている話は本人から聞いていたので、私は帰ったついでに弟から結果を聞けばいいかな?程度の認識でした。
何も知らないまま実家に戻るなり、父の部屋に連れてゆかれ、見せられたのが画像のCTでした。
これが何に見える?
何が起こってる?
お父さんにわかるように教えてくれ。
お父さんはもう何もわからない。
わかるように言ってくれ。
父はワンカップ焼酎を両手で握り締めて、何度も「わからない」を繰り返しました。
私の専門は医学ではありません。
ただ、哺乳動物のCTならなんとなくわかります。
脂肪の厚さから、弟のもので昨日東葛病院で撮影された腎臓付近のものであることはすぐに理解できました。
ですが、何故腎臓がこんなに変形しているのか?
なんでこんなに炎症が起こっているのか?
なんだか腎臓付近の腹膜もうっすら炎症を起こしてる?
どうしてリンパ節の境界がめちゃめちゃなのか?
全く理解できませんでした。
私は他人のCTを病院が間違えたのだと思いました。
でも、脂肪の厚さを見ると、どう見ても当時120キロの体重だった弟のもののように見えます。
結論が一つ以外無いことが信じられず、私は腎臓の変形とリンパ節に影響をもたらす、例えば炎症性として何か他の感染症の可能性を片っ端から検索しまくりました。
風俗でも行って何か貰ってきたとか、不衛生にしていて尿管から細菌でも入ったのか、とか、すごい弟に失礼なことも考えました。
綺麗な肝臓だね、とか、腸にガスたまりすぎてね?とか、訳のわからないことを言っていたように記憶しています。
10分ぐらい経って、父に強く答えを促されて、私は
癌じゃん、癌にしか見えないんだけど、すごい転移してるんだけど、もう終わってるんだけど、なんでこれがあの子のCTなの?どうしてなの?と、父に逆切れしていました。
父は必死に焼酎を飲みながら、
血尿が梅雨頃から続いていたこと、
癌以外の可能性が無いと言われたこと、
もう時間が無いかもしれないこと、
東葛では対応が出来ないので、慈恵医大柏病院への紹介状を持たされて、CTと一緒に帰されてきたこと、
それから、本人がそれを全て知っていること
それを1時間ぐらいかけて私に言いました。
どうすればいい?と、しきりに聞かれ、とにかく私は怒っていました。
母は、弟の部屋の前に座り込んでました。
私の腕を掴んで、
「癌だって」と呟くので、見た、聞いた、と答えて弟の部屋に入ると、弟はベッドの上に座って、無言で壁を見ていました。
「僕、死ぬかも」と弟が言うので、
私は、何を思ってそういうことを言ったのか今でも理解出来ないのですが、
「大丈夫だよ!まだわかんないよ!」と、大声で言いました。
とにかく会話の中で「大丈夫!」を連発していました。
一番やってはならないことだったように、今にすると思います。
私はあの時点で、弟の死を確信していました。
それでも空言ばかり言って、励まし続けました。
絶対に言ってはならない、希望を持たす迂闊なことばかり弟に言っていました。
そのスタンスが、後になって私をどんどん追い込みました。
その日の夜は全く眠れず、馬鹿みたいに腎臓関係の論文参照請求をネットでかけまくってました。
後で参照費用が1万円を超えていて、無駄なものばかり参照していたことに気がついて、ものすごく腹立たしくなりました。
とにかく怒ってばかりいました。

