コロナだから… ということ
コロナだから〇〇ができなかった。
コロナだからつらかった、コロナなんか嫌い、コロナに負けるな…
こうして言葉が飛び交った2020年。
これをいつまで言い続けますか?
「コロナが終わたら、ゆっくり会ってたくさん話そうね」
みたいな話も聞こえますが、
そんな日が来るのか、あてにしていません。
形あるものとしてコロナを捉えることもやめました。
形あるものとして捉えるから
始めがあり、終わりが来る、という発想、
「コロナが憎い」という発想、
「コロナに負けるな」という発想… に
ならざるを得ません。
これは何でも形あるものとして考えてきた
三次元的発想の生き方のクセでもあり
仕方のないことですが…
私は「新型コロナ」の問題が日本だけでもなく、世界で広がったことに、
必ず意味があったと思うのですが、
いちばん考えさせられたのは、中身をよく考えなおすことでした。
それ、本当に必要なものなのか
学校、会社、人との付き合い方、親子関係、そしてこれからの仕事、生き方など
すべて見直しをしました。
不要に思ったものは捨て、家も引っ越し
職業も自分が本当に心から没頭できるものに集中することに決め、
双方にとって役に立たない付き合いをやめました。
自分にとって要らないもの、近くにあってはならないものを手放して
好きなこと、できること、人に心から施したいと思える仕事に集中し、
自分らしさを最大限に発揮できる生き方を選びました。
それを2020年に、一気にできたことは自分でも驚きでした。
2021年はもっともっと循環をよくして生きていこうと思っています。
循環をよくすることがまさに“風の時代”の生き方なんですね!