愛に満ちた母国語

 

 

 

外国語を学ぶと仕事が増えたり

 

ドラマを楽しめたり

 

外国の方と交流ができたり

 

いろいろいいことがあります。

 

 

 

 

 

熱心な親は子供が小さい頃から英語を習わせて

 

早期留学させて

 

英語を母国語のように使えるようにさせます。

 

仕事で困らないように。

 

学校で困らないように。

 

 

 

 

親心ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと思ったことは

 

「外国語」という概念は母国語の対比。

 

母国語があるから外国語がある。

 

 

 

 

 

 

外国語の勉強をするのに

 

母国語が必要だということを

 

最近、改めて感じることがありました。

 

 

 

 

韓国語が大好き、韓国ドラマも大好き

 

字幕なしで見ちゃうぐらい好き。

 

 

「だから通訳士になって

日韓の懸け橋になろう」

 

 

そう、一念発起した人が

 

「日本語がイヤ」という理由で

 

通訳士の夢をやめようとしています。

 

 

 

韓国語が好きで、勉強は何時間していても苦じゃないのに

 

韓国語がどういう意味か確認するために

日本語に変換しようとすると

 

 

 

 

急にトーンダウン。

 

 

 

 

面白くない日本語。

難しい日本語。

どういえばいいのか分からない日本語…。

 

 

 

日本語がイヤ!

 

 

 

日本語なしで韓国語の勉強がしたい!

 

 

 

そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

待てよ。それは可能なのだろうか。

 

 

通訳士となると、双方の言葉を駆使できて仕事が成り立つはず。

 

 

 

 

だったら通訳ではなく

 

日本語の必要がない、韓国で働き

韓国語だけ使って生きていくしかない?

 

 

 

それってどんな生活かな。

 

 

 

 

 

日本語でものを考えることって、少なからず

あるのではないのかな?

 

 

 

 

 

 

 

今、「マルモイ」の映画が上映されているけれど

 

自国の言葉が一切、使えないとなったら

どんな気持ちかな。

 

あなたは今日からキャサリンです。

 

みたいになったらどうかな。

 

 

 

言葉は誰も使わなくなったら

きっと忘れられてしまうだろうなあ。

 

 

「マルモイ」では、自国の言葉を奪われないために必死だった。

 

 

 

 

そこに心を打たれてた。

 

 

 

 

言いたいことを的確に表現できるのが母国語であり

 

母国語のおかげで自分がここまで生きてこられた。

 

 

 

 

母国語を整えて豊かにすると

 

外国語の意味を確認する時に細かいところまで描写もできるようになって

 

外国語も豊かに感じるのじゃないかな。

 

 

 

光があるから文字が見えて

 

音があるから話し声が聞こえて

 

母国語があるから外国語があって

 

外国語があるから母国語の偉大さが分かる。

 

 

 

 

 

そう思いました。