新しいペンで。 | 何かの協奏曲

何かの協奏曲

Concerto for Something.

万年筆を新調した。

といっても、パイロットのスタンダード・モデルである。

amazonのポイントだのが溜まって、ちょうどの機会だった。


常用していたwatermanの万年筆が、使い始めてちょうど十年になる。

ペン先は好ましく角がとれ、手にすっかりなじんだけれど、

さすがに表面のラッカーの剥げがひどくなってきたのだ。

そろそろ、あたらしいものもあっていいかな、と思った。


新しい万年筆は、まだいくらかの違和感を伴っていて、

ペン先はカリカリするし、なにより軸の軽さがまるで違う。

だが、すぐに慣れるだろう。


筆記具を変えるのは、私にとって、世界観の変化の標章だ。


こんな風に言えば、大げさになるのだろうか。

しかし、世界を言葉で認識する種族――つまり文科系――には、

どう世界を書きとめ、残すのかが、それなりの重大事のはずだ。

どのような手段で、見た目で、その行為を遂行するのかが、

はたして私の認識に、まったく影響しないと言えるのだろうか。

たかだかペンだ。

しかし、何らかの変化をもたらしていい気もする。


思えば、高校生くらいのときから、筆記具をあれこれ考え始めた。

シャープペンを、紺色の軸のものにしたのは、いつだっただろう。

ノートはいつも、ブルーブラックのボールペンでまとめた。

大学の学部生のときも、それは変わらなかった。


ボールペンが万年筆になったけれど、色はいまも変わらない。


つまり、青いインクで、私は世界を書きとめる。

それが私の認識のしかただ。


アラビア語でも、英語でも、ノートやtwitterでもかまわない。

きみの認識のモデルはなんだい、と聞いてみたくなる。

それがきみを縛っているんだ、ということには、注意が要りそうだ。


たまには変えたほうがいいのかもしれない。

メディアを。筆記具を。