つまみ食い、のようなマネをしている限り
とうてい届かない。
そう、つまみ食い、じゃないね。辰巳先生の表現だと
拾い食い。
たとえば、私のシンデレラの時間割®でもいえます。
つくりたいところだけを拾う、という取り組みは、
自分のしていることが
本当にはわかっておらず~~~
通読してのち、必要に応じた項を開きますと
料理と仕事の位置づけがおのづから、つかめてまいります。
これではじめて、真の意味で
仕事の段取り、回転ができる方となり
年とともに、しごとは掌中に
楽しみと喜びは心中にやどります」
開き直ることは、もうそこから進歩はないです。
本当にはわかっていないのですから。
通読してからでないと、はじまらない。
まあ、通読というのは
まず、全てをそのままやる、
これ以外に、方法などないのです。
だから、課題があるんですよねえ。
辰巳芳子先生
辰巳芳子『手しおにかけた 私の料理』
P2の11行目からです。
「つくりたいと、お思いになるところだけを拾い読みせず、
一度は初めから終わりまで通読していただきたいのです。
つくりたいところだけを拾う、という取り組みは、
自分のしていることが
本当にはわかっておらず~~~
通読してのち、必要に応じた項を開きますと
料理と仕事の位置づけがおのづから、つかめてまいります。
これではじめて、真の意味で
仕事の段取り、回転ができる方となり
年とともに、しごとは掌中に
楽しみと喜びは心中にやどります」
・・・・引用/辰巳芳子『手しおにかけた 私の料理』