「そんなことして、どんな意味があるんですか?」
と。
買い出し前の儀式に限らず、
シンデレラの課題をだすと、よく質問されます。
意味を説明してもらって、納得したらやる、というわけです。
これ、自分が勝手に難しくしているのです。
そこに、「損したくない」とか「間違えたくない」という
根性があるからなのでしょうか。
意味が分かってから、課題をやるんじゃないんです。
課題をやるから、意味が分かるんです。
掃除もね、やればいいでしょう。
やってごらんなさい。
冷蔵庫も、カラにしてみろ、と言われたら
すればいいんです。
なぜそこに、「意味を教えてほしい」
ありましたよ。
キッチンを、20分の作業のふしめに、乾拭きするという課題。
こんなことでさえ、
「なんでからぶきしないといけないか、意味を教えてほしい」
しなくちゃいけませんか?と。
20分で、と言っているのに、15分。
20分でと言っているのに、25分。
「理由を説明してほしい。納得するまで説明してくれないから
課題をやる気になれない」
とか。
自分で複雑にしている。
やるから意味が分かるのです。
わかってやろうとするから進まない。
泥沼でしょ。
損したくないとか、得しちゃったって
それ、本気?
いちいち意味や説明を求めるのは、
言い訳なんだよ。
やらないで済むための、いいわけ。
さっさとやれ。