使徒の働き 7章

1~53節 議会におけるステパノの説教

イスラエルの歴史を語り、彼らの罪を責めた

1~16節 アブラハムからヨセフまで

アブラハムは神に導かれるままどこにでも行った。
神の約束を信じて、いかなる場合も信仰によって歩んだ。

※創世記では、テラについて行ったように書いているが、
ステパノの証言で、神様がメソポタミヤ(ウル)でアブラハムに現れてハランに向かったことがわかる。

ヨセフは兄弟たちに迫害されてエジプトに売られたが、
艱難の中にも神を信じて忍耐し、最後に、大いなる祝福を受けた。

※ヨセフはイエス・キリストのひな型


17~29節 エジプトにおけるイスラエル人の苦難

モーセによってイスラエル人がエジプトを脱出する
モーセは神様の摂理によって、川から救い出され王宮で育てられる
モーセは王宮の栄華を捨て、神の民とともに苦しみを受けることを宝と考えた。


30~43節 モーセの召しとイスラエル人の罪

神様がイスラエルの民の苦悩を聞いて、モーセをつかわされた。
モーセは神の力で人々を導き出し、神と人との仲保者として立ち、神のことばを取り次いだ。
しかし、民は度々モーセに逆らった。


44~53節 幕屋および神殿について語り、彼らの罪を責める

モーセは神様が示された通りの幕屋を建設した。
ヨシュアはその幕屋をカナンの地へ運び入れた。
ダビデは幕屋のとどまるところを求めた。
ソロモンが神殿を建設した。

イスラエルの歴史を振り返り、先祖たちが逆らったように、今も聖霊に逆らっていると責めた。
  
人々は、ステパノに対して怒った。


力あるあかしをすると、悔い改めに導くか、迫害を受けるかのどちらかになる。
→ 生ぬるい信仰は、迫害も受けないが、人を悔い改めに導くこともない。


54~60節 ステパノの殉教

ステパノは聖霊に満たされて、天を見つめて、神の栄光と神の右の座に立っておられるキリストを見た。

※キリストは神の右に着座されている
(へブル8:1、12:2)
しかし、ステパノの殉教の死の時には立ち上がって迎えた。

人々は、ステパノを町の外に追い出して石を投げて殺した。

※サウロ(後のパウロ)は、人々の上着の番をした。

イエス様がとりなしたように、ステパノもとりなしの祈りをして眠った。
※イエス様は、とりなしの祈りをして、霊をゆだねた。
ステパノは、霊を受け取って下さいと言ってから、とりなしの祈りをした。

ステパノは教会最初の殉教者