士師記 19章

19~21章の出来事は、アロンの子エルアザルの子ピネハスが祭司であった(20:28)ので、
ヨシュアが亡くなって次の世代のことである。

1~2節 レビ人のそばめが父の家に帰る

レビ人は神様に仕えるために選ばれた部族であったが、正式な妻としてではなくそばめとしてベツレヘムからめとった。


そばめは父の家に帰ったが、文語訳によれば姦淫の罪を犯したために父の家に帰ったと書かれている。

「その妾彼に背きて姦淫を為し去てベテルヘムユダとなるその父の家にかえり其処に四月という日をおくれり」
(2節)


※ヨシュアが亡くなると、すぐに堕落していることがわかる。

※ベツレヘムには、エリメレクやボアズが住んでいた。
ボアズの母親はラハブなので、ルツ記と同時代の出来事


3~9節 レビ人がそばめを迎えに行く

父親はレビ人を喜んで迎えた。
父親が何度も引き止めたので優柔不断なレビ人は5日目の夕方になって出発した。


10~26節 ギブアに宿泊する

夕方に出発したので途中の町で宿泊することにした。

「ギブアか、ラマで一夜を明かそう」
(19:13)

※ギブアはサウル王の出身地(Ⅰサムエル10:26)
ラマはサムエルの出身地(Ⅰサムエル1:19)


ギブアの住民は不親切だったので、レビ人たちを招き入れてくれる人はいなかった。

ひとりの老人が招き入れてくれた。


ギブアのよこしまな者たちが家を取り囲んで
「あの男を知りたい(男色)。」と言った。
→ ギブアはカナン人の影響を受けて同性愛の罪が蔓延していた。
           
ソドムのようになっていた。

「彼らが神を知ろうとしたがらないので、
・・・良くない思いに引き渡され、・・・」           
(ローマ1:28)

          
レビ人はそばめを差し出した
→ レビ人はそばめを愛していなかった。


27~30節 レビ人の復讐

レビ人が朝起きると女が戸口で倒れていた
→ レビ人は祈らないで、朝まで眠った。


レビ人は復讐のために死体を12に切り分けて12部族に送った。
→ 自分の復讐のために問題を大きくした。

※もともとレビ人が立場にふさわしくない生活をしていたために起きた問題

※復讐は神様のなさること、神様に委ねるべきだった。

「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
(ローマ12:19)


士師記19章は、聖書の中で最も醜聞な章のひとつであるが、神を恐れないこの世の姿である。

それは、次のように書いてあるとおりです。
「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」
「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
「彼らの足は血を流すのに速く、
 彼らの道には破壊と悲惨がある。
 また、彼らは平和の道を知らない。」
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」
(ローマ3:10~18)