士師記 16章

1~3節 ガザに行くサムソン

サムソンがガザの遊女のところに入る
→ 肉欲を自制することが出来ない

ガザの人々はサムソンを取り囲んで一晩中待った。

サムソンは町の門のとびら、かんぬき、門柱をかついでヘブロンに面する山の頂まで運んだ。
→ 悪魔に勝利するキリストの型

ガザからヘブロンまで60Km

※「門」は有力者が集まる場所
ロトはソドムの門に座っていた
(創世記19:1)

神様はアブラハムの子孫が「敵の門を勝ち取る」と預言された
(創世記22:17)

※サムソンは肉の人だったが、神様の力は取り去られていなかった。


4~22節 サムソンとデリラ

サムソンはデリラを愛した
→ サムソンは世のものを愛した

※デリラはデリケート・上品・優美のことで非常に魅力的なこと

「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」
(Ⅰヨハネ2:15~2:16)


デリラはサムソンを愛していなかったので銀千枚で裏切ることは平気だった。
→ 世と世のものは人を幸福にしないで滅びに導く

サムソンはデリラに責められて力の秘密を教えて髪を切られる
→ ナジル人の資格を失って力も失う

※サムソンはぶどう畑に入ったり、死体に近づいたりしたが、
髪は伸ばしたままだったので、力を失うことは無かった。
しかし、髪を切られてナジル人としての3つのことをすべて守らなかったので、力を失った。

サムソンは主が自分から離れたことを知らなかった(20節)
→ イスラエル民族もラオデキヤの教会も神様が去っていることに気が付いていない。

ペリシテ人の奴隷となる
→ 世に捕らえられてしまった信仰者の姿

サムソンの目はえぐり出された
→ 霊的な判断が出来ない状態

※誘惑は目から入ってくる
アダムとエバ
ロト
アカン
ダビデ


サムソンの髪が伸びてきた
→ 神様の憐みによる信仰の回復


23~31節 サムソンの復讐

サムソンは偶像の宮の2本の柱を倒して、三千人を殺して死んだ
→ 十字架で死んで悪魔を滅ぼしたキリストの型

※キリストが十字架で全人類の罪のさばきを受けたので
悪魔が持っている死の力は無力になった。

※キリスト者も自分に死ぬと神様に用いられる
「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
(ガラテヤ2:20)


※サムソンの歩みはイスラエル民族の型でもある。
神様に選ばれたにもかかわらず肉を優先して生きたために大艱難に会うが、
最後に悔い改めて信仰が回復する。

※サムソンは髪を切られたが、バプテスマのヨハネは首を切られた。しかし、髪は切られなかった。