4章 祝福(買い戻す人の花嫁となる)
1~12節 ボアズがナオミの畑を買い戻す
1節 ボアズが門に座る
2節 ボアズは長老10人を招いた
門・・・裁きがされるところ
ロトはソドムの門に座っていた(創世記19:1)
のがれの町(ヨシュア20:4)
アブシャロムは門に通じる道のそばにいた(Ⅱサムエル15:2)
イエス様は門の外で苦しみを受けられた。
(ヘブル13:12)
買戻しの契約は大勢の人の前で行われた
※長老以外の人たちもいた(4:9)
※イエス様の十字架も大勢の人の前で行われた。
過越しの祭りの時だったので、いつもより人が多かった。
十字架はエルサレム中の人が知っていたことだった。
(ルカ24:18)
これらのことは片隅で起こった出来事ではありません。
(使徒26:26)
「ちょうど」親類が通りかかった
→ 神様の摂理
ルツはボアズの畑に導かれた(2:3)
「ちょうどそのとき」ボアズがやってきた(2:4)
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
伝道者の書3:11
3~6節 親戚が買戻しを辞退する
ボアズは2番目
親戚・・・律法
※親戚には土地を贖っても人(ルツ)は贖えない。
親戚は自分自身の相続地を失うことになる(6節)
→ 律法は罪人を義とすることは出来ない。
律法が罪人を義とするなら、律法が損なわれる。
親戚は土地を贖うことには関心があるが、人には関心がない
モアブの女性を贖うと評判が落ちることを気にした。
ボアズはルツを買い戻すことを気にしなかった。キリストの型。
→ イエス様は、罪人の贖い(ローマ8・3)と土地の贖い(8・21~23)を行った。
7~8節 親戚は履物を脱ぐ
履物を脱ぐことは権利を放棄すること
(出エジプト記3:5、ヨシュア記5:15、申命記25:9)
放蕩息子はくつをはかされた
(ルカ15:22)
イエス様はくつを脱ぐ必要のない方
(マルコ1:7、ルカ3:16、ヨハネ1:27)
9~10節 ボアズが買い戻したもの
エリメレク、キルヨン、マフロンの土地とルツ
→ オルパの分の土地の買戻しも行った。
※イエス様はすべての人のために十字架でいのちを捨てられた。
「ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。」
ヘブル2:9
※いくら払われたか書かれていない。多くの犠牲が払われた。
ダビデの家は貧しかった(Ⅰサムエル18:23)
→ ボアズが買戻しを行ったので貧しくなったのかもしれない。
「・・・すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。
それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
Ⅱコリント8:9
マタイ13章では、宝が隠された畑と真珠を全財産を使って買われる。
※畑はこの世界(マタイ13:38)
11~12節 証人たちからの祝福
ルツはレアやタマルのように、イエス様の家系に組み込まれた。
13~21節 ボアズとルツの結婚
買い戻しの後に、家でボアズとルツは結婚した。
結婚による共有
・アダムはエバを「骨からの骨、肉からの肉」と呼んだ
・イサクはリベカと愛を共有
・信者は主イエス・キリストと命と愛を分け合う
・ルツはボアズと結婚して、王座につくダビデの家系に加わった
・同じ国籍、同労者、共同相続人
16節 ナオミへの祝福
・素手で帰ってきた(1:21)が、最後に子どもを抱いた。
18~22節 ダビデへの系図
ボアズは主イエス・キリストの型なので7で完全を表している
・ボアズはペレツから7番目
・ボアズはルツ記に七番目に登場する。
エリメレク、ナオミ、キルヨン、マフロン、ルツ、オルパ
・ボアズはルツに七回話しをしている
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マタイの福音書とボアズ
有力者・・・マタイでは、主は王
富んだ方・・・マタイ13章では、畑と真珠を全財産を使って買われる。
・畑の宝 → 全世界(畑)を買うことで、イスラエル(宝)を手に入れる。
・真珠 → 集会
マルコの福音書とボアズ
忙しいしもべの型
ルカの福音書とボアズ
「近親者で・・・親戚のひとり」ルツ2:20
・ルカの系図に、主はアダムと関係のある方
・ルカは、主が生まれて成長されたことを書いた。
・祭司の福音書・・・主が他の人に対して、同情される方として書いている。
ヨハネの福音書とボアズ
ご自分の民の主であり、ご自分の民を愛される
・ルツ2:8「娘さん」
・ルツ2:13「ご主人さま」と応答
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ルツの進歩
1章 遠く離れて住んでいた貧しいモアブ人
2章 畑で働いた勤勉は働き人
3章 ボアズの足もとにいた礼拝者
4章 ボアズの妻として家庭にいた。
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ルツ記では、預言者も登場しないし神様が語ることも無いが、神様に従う人たちによって神様の栄光が現れている。