毎日名盤第9回 ジュリーニのヴェルディ《ラ・トラヴィアータ》を聴く | Eugenの鑑賞日記

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ヴェルディ 《ラ・トラヴィアータ》

ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座管および合唱団 旧EMI 1955年ライヴ

 

 ジュリーニのこの演奏の目玉は、なんといってもマリア・カラスのヴィオレッタ。このヴィオレッタの役は、第1幕では、華やかで妖艶な役柄だが、第2幕では悲哀に満ち、ついに第3幕で息絶えるというもので、全曲を通じてのキャラの変化をうまく表現せねばならない。カルロス・クライバー指揮のバイエルン国立歌劇場の演奏では、コトルバスのヴィオレッタは、第1幕から繊細な役柄で、これもまた悲劇のヒロインとしては素晴らしいが、今回紹介するジュリーニ盤のカラスは、変幻自在な表情が圧巻である。録音の悪さを超えて伝わってくるものがあり、「古い録音は・・・・・・」とおっしゃる方にもぜひとも耳を傾けていただきたい録音である。カラス以外にも、ジェルモン役のバスティアニーニ、アルフレード役のステファーノといずれも骨太なキャスティングである。ジュリーニの音楽づくりは、速いテンポからスリリングに進めていくクライバーとは正反対に、イタリア風カンタービレを全編に張り巡らせてゆく、濃厚なものである。かといって、晩年のブラームスの溺れるような気風ではなく、若さもあり(当時指揮者41歳)、万人におすすめの演奏である。

 

 第1幕、前奏曲は、すでに悲劇を先取りしたものだが、ジュリーニの棒から沸き立つイタリア気質の歌は、必聴。リズム感も、さすがは本場の巨匠、といったところか。これはさすがのクライバーもかなわないだろう(クライバーは、名前こそ「カルロス」だが、これは、元の名前「カール」を改めたからで、彼はドイツ出身である)。そして幕が開くと、にわかにジュリーニの棒が燃え立つ。まず、最初の華麗な《乾杯の歌》、コトるバスのしんみりとした歌唱もよかったが、カラスのパワーは尋常ではない。乾杯の音頭を取るアルフレードを、ステファーノが格好良く歌っているのも聞き逃せない。そして、一同が別室へ移動した後、にわかに繊細な表情になるカラス演じるヴィオレッタはすごい!アルフレードとヴィオレッタの純粋な愛を描くシーンはもちろん最高。

 しかし、第2幕では、アルフレードの父親ジェルモンが、「そんな娼婦なんかと・・・・・・」とばかりに二人の愛を引き裂こうとしてくる。彼も完全な悪役ではない。なぜなら、水商売の女と愛し合うことは「道徳的」に問題がないかときかれると、僕も「さて」と考え込んでしまうくらいだからだ。だからこそ、「プロヴァンスの海と陸」の、父親として息子を思う気持ちは、わからなくはないのである。とは言え、アルフレード、ヴィオレッタからすれば、純粋な愛を妨害されるのは大変に腹立たしいことである。しかも、ヴィオレッタは一度は娼婦をやめてアルフレードとの生活を選んでいるのである。ともかく、ヴィオレッタのカラスの悲哀をカラスは大変に劇的に歌い上げているのだ。そして、ステファニーニ演じるジェルモンの父親像もまた、この話をヴィオレッタたちとは別の角度から見ることの大切さを教えてくれているような気がする。そして、後半の舞踏会でのアルフレードの怒りを最高に表現しているのがステファーノ。ヴィオレッタを一途に思う男の悲哀がまっすぐに伝わってくる。

 第3幕、悲しみの前奏曲に続き、今にも死にたえそうなヴィオレッタが・・・・・・ここのカラスのうまさは、スピーカー越しに、「大丈夫か」と心配してしまうほど。まるでヴィオレッタが憑依しているよう。そして、アルフレード、ジェルモンらに見守られながら息を引き取る。ジェルモンも結婚を許してくれ、すべてが解決したというのに・・・・・・。終わり近く、「私はまだ生きられる」と叫ぶカラスの悲痛な歌声は、切なくなるばかりである。また、ジュリーニの急激な感情の高まりもききのがせない。

 ミラノ・スカラ座のライヴというのもまたワクワクさせられる。拍手や、物音を消さない録音(耳障りな方もいらっしゃるかもしれないが、僕は音楽は観客の音も含めて音楽だと思う)もうれしい。カラスやステファーノの圧巻の演技に、最終和音の前から拍手が始まってしまうこともあるが、リスニング・ルームの我々も思わず拍手を送りたくなる、熱演である。

演奏★★★★★

録音★★☆

総合★★★★★