関西の音楽活動グループConceptusコンツェプトゥスです。
ややこしいタイトルですみません。
「キャラクターテノール、フィガロのいんねん」と読みます。
ちょっと浄瑠璃風のタイトルにしてみました。
皆さんがあちこちで、「ぼんちさんの十八番」とか、
「思い入れのある」とか書いて下さるものですから、
どんな風に思い入れがあり、どう十八番で、
なぜこんなに執着するのか、ということを
書き綴ってみたいと思います。
・・・正直なところ、これ一回で終わるとも思えないので、
出世の段、ということで初回に取り組んでみたいと思います。
そもそも小学校3年で出会った、音楽の道ですが、
その中で、モーツァルトが一番性に合った、という前提があります。
小学校3年で指揮に目覚め、やがて作曲をやるようになり、
そして、中学校1年で歌を志すようになります。
歌を志した、そのきっかけは、まさにフィガロにあります。
大阪芸大の学生オペラ「フィガロの結婚」を観たのが、
私の初モーツァルトオペラでしたが、
ドン・バジリオを観て、「これだ!」
歌と芝居を組み合わせて、こんなに面白いことが出来る!
そんな風にオペラの虜になった私が、
何をしたくて歌手を志したかというと、
要するにバジリオなんですけど、
レチタティーヴォ・セッコがやりたくてなったようなもの。
ですから、いまだにレチタティーヴォが私の得意分野。
中1の2学期にその学生オペラを観たのですが、
3学期が終わる頃までには、バジリオのパート、
全部暗譜してしまっていました。
つまり、最初に覚えたオペラアリアといえば、
このバジリオの4幕のアリアだったわけです。
こういう人間、なかなかおりませんねえ。
まだお目にかかったことがないです。
そして、数年の後、私は音大生ではありませんでした。
音楽しかやっておらず、勉学がボロボロだった私を、
とりあえず拾ってくれた学校が芦屋大学の付属高校、
そのしがらみもあり、音大は受けさせてすらもらえませんでした。
それさえなければ、大阪音楽大学に行っていたでしょうし、
おそらくは大学院も行っていたのではないかと思いますが、
そのコースを歩んでいたら、コンツェプトゥスはなかったでしょう。
2回生の時、東京にて「魔笛」のモノスタトス役でデビュー、
その冬には、東京でバジリオを初めて歌っておりました。
今でこそ、音大生が外部出演することも多くなりました。
特に男性は人手不足があり、
また、雰囲気がリベラルになっていることもあり、
以前よりも気軽に外部デビューすることが出来るようですが、
当時はまだまだ、私の年齢で外部デビューする音大生は
見かけることがありませんでした。
私のバジリオは、幸いどこでも好意的に受け止めてもらえました。
お呼びがかかり、今では東京二期会のベテランとなっている人たちと、
対等な仲間として共演させてもらったこともあります。
2000年頃には古楽奏法の知識がある程度確立されていましたので、
東京二期会の人たちでも行き詰っていることがあると、
私は古楽奏法による乗り越え方を提示しましたし、
彼らも喜んでその方法論を吸収してくれたものです。
東京で受け入れられるこうした知識も、
関西で披歴すると不和の種になってしまうところ、
中央と地方との差があるようで、不満の多い時代でもありました。
仲間をみつけて上演したいと思っても、
大学出た頃の私といえば、周囲は私よりたいてい年上。
今の私くらいの年齢の人も多かったです。
いくら奮戦しようとも、何の結果も出ませんでした。
その分、現場にこうした方法論や知識を投入しようとしますが、
敵を増やしてしまうばかりで、結果に繋がりません。
その当時、関西のオペラ業界にいた人間であれば、
どこかで私の悪評は耳にしたことがあるはずです。
私のフィガロ構想は、音楽のみならず、
演出にも及んでいました。
中学校2年の頃に、オペラを観に行って知り合っていた、
40くらいの男性が演出構想を持っており、
あくまでも彼は、私が良き歌手となるための見識として、
演出理念についてのあれこれを教えてくれたのですが、
私は、私なりに形が見えてくると、
自分でやってみなければ気の済まないタイプの人間です。
これが私の演出についての出発点です。
およそ2001年頃には、今のフィガロ演出の原型は
ほぼ出来上がっていました。
当時の私に同じ質問をしてくれても、
およそ今の私に質問したのと、
そう違わない答えが返ってくるはずです。
さて、音楽プラン、演出プランともに揃ったフィガロ、
これをどこでどう活用してもらえるか、
そこが問題となるのですが、
ご縁で、とある市民オペラで指揮と演出をすることになりました。
この役目を政治的な理由で降ろされてしまいまして、
それが、フィガロが「因縁あるオペラ」ということになる、
泥沼の始まりでした。
この泥沼を、次回書いてみたいと思います。
発起人ぼんちでした~!
