関西で活動する音楽グループConceptusのブログです。
これで完結編・・・のはず。(笑)
私が高校生の頃から大学にかけて、
現代作曲家のオペラに出演していました。
私の輝かしき下積み時代です。
私は出演したことはありませんが、
その作曲家のオペラを取り上げます。
右半分がその告知です。
源平合戦の話を、あえて時代を移して上演します。
武士というものの思考パターンや行動原理は、
現代の一般人の言動とは明らかに違います。
一番近いのはヤクザではないかと感じます。
義理を重んじ、メンツが最優先な世界。
まあヤクザに限らず、日本の伝統的業界はほとんど同じですが。
そこに、武力行使が加われば、これはヤクザの世界に近い。
江戸時代など、いわば山口組などが政権をとっていたようなもので、
しかし、ドンパチやることがなくなってからは軟弱化した、
というだけのこと。
何かあれば指を切るか、腹を切るかの違いで、
身体や生命を以て落とし前をつける、ということに違いはありません。
ただ、今現在のヤクザと同じかといえば、それにも違和感があります。
そこで、例えば「鬼龍院花子の生涯」のような、
大正から昭和にかけての任侠の世界の雰囲気で、
上演してみたいと考えました。
狙いはもう一つありまして、
西洋のオペラで、私もよくやりますが、
例えば200年以上前の話を現代仕立てにして上演することがあります。
我々日本人は何となく受け入れて観てしまいますが、
現地の人たち、例えばドイツではそういう上演が盛んですから、
それを観ているドイツ人はどんな風に感じているのか、
そこを知るには、我々は日本の歴史ものを、
モダン演出でかけてみれば、よりわかりやすいと思ったわけです。
源平合戦の頃の衣装など、大河ドラマなどで見慣れていて、
それが我らの祖先の着ていたもの、と認識しています。
その頃の話を、まだ生きている人が生まれた頃、という、
いわば身に覚えのある時代の風景としてやってみるわけです。
そこにどんな違和感が生じるのか。
そういう心理実験としての要素もあります。
そして、このオペラのもともとのテーマは、
子を戦のために殺された母親と、殺した武将の対話、
という、戦いの悲哀を通じて平和への祈りとするものですが、
私はそこにもう一つの視点を付け加えます。
それは、戦いが生み出す人間の歪み、です。
そのため、従来上演されてきた人物のキャラクターを、
かなり違った印象のものにします。
源氏の武将、佐々木盛綱は、かなり器が小さく、
卑怯で、姑息な行動をする男として、
殺された子供の母、と自称して盛綱に相対する女は、
本当に母親なのか、疑わしい胡散臭さを持つ女性として。
盛綱のキャラクター造形において、
私にとって決定打となったのは、
彼が唱える経文、大般若理趣分からの引用です。
「一切有情殺害三界不堕悪趣」
その直接の意味としては、
「宇宙全部の生命体を殺しても地獄に落ちない」
ということです。
女から、自分がその母親だ、子供を返せ、
そう言われているシチュエーションで、
その経文を唱えてしまうと、
「俺は悪くない」と言ってるのと同じことになります。
いわゆる、「お前が言うな!」というやつですね。
そして、上演史上、最悪にみっともない逃げ方を、
盛綱はすることになります。
こういう見せ方は完全にぼんち流ですね。
では、子供の母親は?
最後はその答えで締め括ってオペラを終わりにしたいと思います。