関西で活動する音楽グループConceptusのブログです。

 

 

 

さて、このオペラのあらすじは以下の通りです。

 

源平合戦の中で、神戸を舞台にした「一の谷合戦」、

その後、那須与一の弓矢の腕前の話で有名になった「屋島合戦」、

その二つの合戦の間に、備前児島、今の倉敷を舞台にして、

「藤戸合戦」というのがありました。

一の谷で追われた平家が備前児島に陣を構え、

それを追った源氏方も同じく備前児島の藤戸に陣を構えます。

 

今は半島状のところで陸続きになっている両者の陣ですが、

当時は海を隔てた本土と島の関係でした。

距離にしておよそ500m。

平家は水軍を持っていましたから、船で島に。

源氏は船を持たず、陸路を来て、平家を攻めることも出来ず、

寒い冬のさなか、膠着状態が続きました。

 

ある夜、その先鋒であった武将、佐々木盛綱は

地元の漁師から平家の陣へと通じる浅瀬が存在することを教えられ、

その浅瀬を通って平家の陣に攻め込み、平家を打ち負かして

平家を讃岐の屋島へと追いやります。

 

その後、壇ノ浦にて平家は滅び、

藤戸合戦における戦功によって備前児島に所領を賜った盛綱は、

現地に赴き、訴訟の受付をします。

そこにやってきた初老の老女が盛綱に、息子を返してくれ、

という訴訟をしてきたのです。

盛綱は、浅瀬を教えてくれた漁師を殺し、海に沈めていたのでした。

それは、源氏方の他の武将に浅瀬の情報が洩れ、

先陣の功を横取りされることを恐れたためでした。

反省した盛綱は、漁師の供養を営みます。

 

これが平家物語から能楽に伝わっている「藤戸」のあらましです。

有吉佐和子は、これを文楽台本に仕立て上げましたが、

その時、殺された漁師の年齢をグンと引下げ、

まだ幼いが利発な子供、という設定に変えています。

 

盛綱は反省し、母親に太刀を渡して仇討ちを許しますが、

母親は心乱れて斬ることが出来ません。

そして気がふれて、我が子を幻の中に見るのでした。

盛綱は般若理趣の経文を唱えます。

「一切有情殺害三界不堕悪趣」

 

・・・この戦争の生む悲劇を取り上げたのが、

「藤戸」という作品・・能、文楽、オペラなのですが、

私はそこに、もう一つの視点を加えました。

戦争が生むのは悲劇ばかりではありません。

人間の歪み、業の果てしない輪廻、

そういう人間が目を背けたくなるようなものも、

同時に生み出されてしまうことを訴えたいと思いました。

 

ある年の8月に観た「藤戸」の舞台、

それまでにも何度も観ていますが、その時は少し

違ったことを頭で考えてしまうことになりました。

最初にひっかかったのは、盛綱の唱える経文です。

「一切有情殺害三界不堕悪趣」

これは大般若経の中の理趣分にも該当箇所がありますし、

真言宗で読誦される「般若理趣経」の中にもある文言です。

直訳すると、「宇宙全部の生き物を殺しても地獄には落ちない」

ということになります。

 

これを、我々僧侶が法話の場で発言し、解説するならば、

それはこの経典の功徳を広く伝える行為になります。

しかし、子供を殺した当の盛綱が言ったらどうなるでしょう?

「俺は悪くない」と言うのも同然です。

この時、盛綱の人格を信じることは出来なくなりました。

そうなると、とことん疑いの目を向けるのが、

私の意地悪なところなのですが、

今度は、「母親」を自称する「女」が、

本当にその子供の母親なのかが疑わしくなってきました。

単に盛綱を強請りに来ただけだったら・・・。

 

小説「宮本武蔵」の中に、関ヶ原の合戦の直後、

将兵の死骸を漁って、武具や装飾品をとっていき、

生活の糧にする描写が出てきます。

普通の現代人の感覚ではなかなか出来ないことですが、

戦乱続きの世の中は人の感覚さえおかしくするもので、

そうした面も、私の疑問を用いれば表現できるかもしれない。

 

それが、今回の「藤戸」演出に繋がる私の思考でした。

このオペラは源平合戦を題材に、

戦乱の生みだす悲劇を表現して平和への祈りとするものです。

私はそれに一つ要素を加えて、

戦乱の生みだす残酷物語をして平和への祈りとしよう、

これこそが私なりの「藤戸」解釈です。