関西の音楽活動グループ Conceptus コンツェプトゥスです。
昨日のブログで、私はこのように書きました。
上品に取り澄まして歌う伯爵夫人など必要ありません。
激しい感情の起伏、情緒不安定、
ロジーナという1人の弱い女を描いていきます。
その弱さが、「罪ある母」の第一歩なのです。
3幕の伯爵夫人ロジーナのアリアでの稽古について、
そのように書いたのですが、
それなら随分音楽をいじり、テンポを揺り動かして
表現しているのだろうと思われるのではないでしょうか。
事実はその逆です。
アリアの最初に付いている、レチタティーヴォ・アッコンパニャート、
要するにオーケストラ伴奏のついたレチタティーヴォですが、
厳格に楽譜通りの進行を要求しています。
しかし、ただ楽譜通りに歌っただけでは間の抜けた、
冗談にしか聞こえないものになってしまいます。
だから幾多の演奏は、長く書かれた音符も短く端折って歌い、
オケによる合いの手と合いの手の間は、
かなり自由に伸び縮みさせつつ歌うのが定石です。
少なくとも伯爵夫妻の3幕アリア、
レイバーン学説に従って、伯爵のアリア、夫人のアリア、
と並べて演奏しますが、その2つのアリアのアッコンパニャートは、
厳密に楽譜通りの音価での演奏を私は要求します。
夫人のアリアにおいては、そのまま歌えば間延びする長い音符を、
訥々と、つぶやくように、切れ切れに歌うことで不安や落ち込みを、
短い音符は激している様子を表現することで、
夫人がどっしりした貴族の女性などではなく、
まだ年端もいかない、不安定な状態の女性であることを表現するのです。
そこで表現されるものは、
優雅な貴族趣味のものでも、ロマンティシズムでもなく、
初期バロック音楽のような直情、
あるいはヴェリズモに直結する人間の姿、
きっと皆さんが持つモーツァルト音楽のイメージとはかけ離れた、
生々しいものであると思いますが、
現代の人間にこの作品の持つテーマ、問題提起、
そういったものを感じていただくためには、
こうした手段は有効であると信じております。
お若い方々には、今一度、
楽譜と向き合い、そこから立ち上げて
独自のイメージを作る作業を厭わずやっていただきたい、
そう切に願う発起人ぼんちでありました。