ゲルハルト・リヒター展
東京国立近代美術館
2022年6月18日(土)
ゲルハルト・リヒターはドイツの現代アーティストです。1932年ドイツ東部のドレスデンに生まれました。1961年東西ドイツ分断の直前に西ドイツに移住し、以降60年を越える間、活動を続けています。
16年ぶりの日本での回顧展ということで気合入れて行ったのですが、案外サクっと見れました。作品が大きく点数が少なかったことと動線がフリーだったからです。
今回は目玉の展示「ビルケナウ」を取り上げます。
ビルケナウ、とは
「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」のことです。
入口を入って左の展示室。実質この部屋が一つのインスタレーションになっています。
64〜67 ビルケナウ
大型の抽象絵画4点1組が向かい合わせで壁にかけてあり、
113 グレイの鏡
もう一面の壁に巨大なグレイの鏡のアート、
残る一面の壁に
69 1944年にアウシュヴィッツ強制収容所でゾンダーコマンド(特別労務班)によって撮影された写真
4点のモノクロ写真(撮影NG)。
この展示室に入ってからの私の心の変化を解説しますと、
この展示室に入った瞬間は、ビルケナウをテーマとした大型の抽象絵画の展示室と思います。
やがて、向かいあった4点1組の抽象絵画が同じ絵柄であることに気づき、一方(64〜67)がペインティング、一方(68)がそれを写した写真とわかります。
そしてキャプションを読み、ペインティング(64〜67)の下に4点のモノクロ写真(69)、1944年にアウシュヴィッツ強制収容所でゾンダーコマンド(特別労務班)によって撮影されたユダヤ人の死体の焼却の写真が描かれていることを知ります。
ここまで理解した上で改めて展示室を見渡すと、展示室に入った時の印象と全く違うものが見えて来ます。
この作品は、ナチス・ドイツのホロコーストを題材としています。ゾンダーコマンドは収容所内で虐殺された死体を処理する作業に従事した人々です。彼らが密かに撮影し隠していた写真が戦後に発見されました。ぼやけてはいますが、たくさん死体を火にかけている様子です。
ペインティングの作品はこの写真の絵の上に描いた抽象絵画です。この出来事を形を変えて表現したものなのか、それを覆い隠す何かを描いたのか。どちらにしても見えないことによりかえって想像が膨らみ、見るものの心の中にホロコーストという闇が得体が知れぬまま増大します。
次に抽象絵画の向かいにある原寸大の写真。一見すると実物の絵と気づかないくらいよく撮れています。タイトルもビルケナウ。ただ写真ですから下にはゾンダーコマンドの写真はありません。それでも心の中で写真を補えば、オリジナルと同じ働きを持つ作品に見えて来ます。不完全な複製でも情報を補い想像を働かせれば、真作に近い感覚を得ることができる。
そしてグレイの鏡。鏡も我々の目と同様に見たままを映しますが、心がありませんので、絵画も写真も同じイメージでしかありません。しかし人間は心があるので、モノクロ写真のイメージを紐づけてホロコーストの作品として見ることができます。たとえ鏡の中に映るイメージでも。
作品を作ることに比べて、作品を見ることは受け身な行為と思いがちですが、そうではありません。作品は所詮物体に過ぎず、こうして見るものが心の中でアートを完成させる。見ることも創造的行為です。
リヒターは見るという行為を探求するアーティストです。その作品は観念上の実験めいたもので、意図やメッセージを極力排していることが多い。気づきを与えるものの、何らかの思想や感情に結びつきにくい。
対して、この「ビルケナウ」は異質です。直球でホロコーストを扱っています。そこにリヒターのいくつかの手法が巧妙にかつ必然的におりこまれている特別な作品です。
リヒターが隠した何か、本来そこにはないがあるかのように見える何か、さらに見ることはできないが現実に存在した何か、それらを見るものに意識させて、時の流れに風化しそうな歴史の惨劇を現在を生きる我々の心に残そうとしているのだと思います。
ドイツ人としての出自が彼にこの作品を作らせているのでしょう。
今回はこの辺で。
他の作品については回を改めて触れます。
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