没後50年 鏑木清方展 

東京国立近代美術館

2022年4月2日(土)



鏑木清方(1878-1972)。日本画の美人画の名人として異論を挟む人は誰もいないでしょう。繊細で丁寧で隙のない職人的な仕事と、人の心の微かな機微を捉え表現する高い技量、惚れ惚れします。

 

東京、京都で巡回する展覧会の東京展の企画として美人画以外の作品もまとめて展示します。美人画だけではなく、日常の風景なども多く描いており★で評価までつけていました(★3つが最高。)

。展示されています。



29.絵双紙屋の店 ★★

早速★2つからご紹介。子供向けの錦絵や玩具を売る絵双紙屋。壁一面に売り物の絵が掛けられているのに加えて、畳の上にもたくさんの絵が広げられています。上がりこんで色々な絵を吟味する子供たち。それを見守る女店主。軽いタッチであまり描きこんでいませんが雑でもない。明治時代の古きよき東京の市井の様子を描いています。


2  雛市

23歳の時の作品。雛人形を買いに市に訪れた母と娘。赤い綺麗な着物を着て母を見つめ何か言いたげな表情です。高価な雛人形をねだっているのでしょうか。傍らに裸足の少女が包んだ梅の枝を担いで歩いています。お届けものでしょうか。市に並ぶ雛人形に目を向けています。構図としては望遠レンズで覗くような圧縮が掛かっており露店の屋根の布のようなものが垂れ下がって上の部分を覆っています。様々な設定を織り込んだなかなかの大作で力作。


18  秋の夜

窓辺で読書する女性を、開いた障子窓の外から覗き見るように捉えた絵です。本をめくりながらも、気持ちはここにあらずという目をしています。誰か想う人がいるのでしょうか。掛け軸なので縦に長い画面。この長い画面の左側を上から吊り下げられた簾が覆っています。限定された画面が女性の一瞬の感情を効果的に切り抜いています。


22  黒髪

四曲一双の屏風です。鏑木清方の作品としてはでかいです。

右隻は片倉小十郎の娘、弥生が仙台青葉城下、広瀬川で諸肌ぬいで髪を洗う様子を描いています。

左隻は竹藪と広瀬川の水面です。左端に舞う黒い一匹の蝶が凄く効いていて、空間に奥行きを感じさせます。対して右隻の女性がしゃがんで川の水につけて洗う長い黒髪が柔らかく揺れています。傍らで立って長い髪をすくもうひとりの女性の黒髪と合わせて、吸い込むような日本画の黒が印象的です。

 

84  雪紛々

女が見つめる左上に小さな白い点。それほど濃く描いてはいないのに気がつけばそこに目がいってしまう。ハラハラと雪が降り始めてことに気づいた瞬間の小さな「あ」という瞬間をものにした作品。鏑木清方は本当にこういう絵が上手いです。

 

57  築地明石町


第8回帝展 帝国美術院賞を受賞。表情が良い。

今回の展覧会のポスターにもなっている一点。

神話の神でも、歴史上の人物でも、当時の政治家でも実業家でもない、築地明石町の市井の女性。

色の数が少ない。着物は殆ど黒と青緑で抑えた色調でチラリと覗く赤が鮮烈。画面を構成する説明的要素が少ない。

美人画といってもアイドルのようなただ可愛いというものではない。理想の人体を形にしようとしている訳でもない。人間性を深く掘り起こすような肖像画とも違う。

日常にあるちょっとした気づき、他意のない仕草を描いている。それでいて見ていて飽きが来ない。とても小さな穴に針を通すような見事な仕事です。


鏑木清方は芸術を3つに分類して、制作していました。


  • 展覧会で展示され多くの人が見る「会場芸術」
  • 個人の住宅に調度品のように飾る「床の間芸術」
  • 独りで机の上で読書をするように見る「卓上芸術」


代表作であり人気が高い美人画は概ね「会場芸術」です。では他の2つはどのようなものでしょうか。


 

87 お夏清十郎物語

井原西鶴「好色五人女」から、お夏と清十郎の物語の6つの場面、出会いから関係が進展していく様を描いた額装の作品。いずれも絵の中で物語が完結せず、想像する余白、続いていく余韻があり、挿絵画家で培った場面描写のスキルが遺憾なく発揮されています。現代的な個人の住宅に飾るためのサイズ感の絹本彩色で、近くで見ても綺麗な筆遣いでやはり丁寧な仕事です。いわゆる「床の間芸術」です。


49  金沢絵日記

34  夏の生活  ★★

筆によるスケッチです。鏑木清方のラフな絵を観る機会が全く無かったので、とても新鮮でした。細部は描かずマル描いてチョン、いろいろものがあるところも太い筆ではサッサッ、みたいな大雑把さなのですが、雰囲気が伝わってくる独特なラフです。人物もスカートなど洋服を着て日本画にはないモチーフも描いています。


102 朝夕安居

明治20年代、木挽町、築地界隈の江戸っぽい庶民の暮らしを描いた画集、「卓上芸術」です。装幀も立派で高そう。庶民には買えないでしょう。庭がある屋敷の表で湯浴みする女、内職に励む人、表の麦湯屋で夕涼みをする人々。この頃、東京は煉瓦造りの近代建築が次々と建ち始めていますがこういう景色はまだ残っていたそうです。



さて、今回鏑木清方の展覧会を見た感想は「正しいアート鑑賞をした。」に尽きます。やはり高い技術で作られた美しいものを観るのが、アートの楽しみであるということを再認識しました。


最後に展示会場の出口にあった鏑木清方の言葉を載せておきます。まさにその通りでした。


願わくば日常生活に美術の光がさしこんで

暗い生活をも明るくし、

息つまるやうな生活に換気窓ともなり、

人の心に柔らぎ寛ろぎを与へる

親しい友となり得たい



 

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