これまでメディアアートについて幾度か批判的なことを述べましたが、今回は私が「この作品は凄い!」と思うものを取り上げます。
「作品」ではなく「発明」かもしれませんが、アートコラムですので作品と呼びます。
それは「Fairy Lights in Femtoseconds 」。
落合陽一の作品です。精力的に創作活動を続けている落合陽一の作品の中では結構昔のものですが、ひとつ取り上げるとしたらこれです。
実物を見たことはありません。ネットのニュースか、YouTube かどちらかで知ったと思いますが、本当に驚きました。おそらく展覧会で実機を展示したことはないと思います。
一言で言うと「触ることのできる立体映像」。
よくアニメやSF映画で、目の前に現れた亡くなったはずの母親を本物と錯覚して抱きしめようとするとスッと通り抜けてしまう切ない場面で効果的に利用される立体映像。アレをこれは超えてしまった作品です。
光る可愛い妖精や、ハートマークを空中に描くことができ、映像に指で触れることが出来ます。触れた瞬間に変化させることもできます。
興味が湧きましたか?
ご覧になりたい方はこちらからどうぞ。
あれっ?て思った方もいるかもしれません。
感動した方もいるかもしれません。
小さいですよね。
すみません、若干読み手の妄想を誘導しました。
このギャップがメディアアートあるあるなのですが、この作品を見て、私は落合陽一は凄い!天才だ!と思いました。光には実体がないのに何故触れることができるのでしょうか。
先ずレーザーを使い空中に絵を描きます。レーザーを集中し空気に当てると空気の分子が反応してプラズマが発生し光ります。このままだと一点が光るだけなので、この点を動かすことで点から線に、線から絵になる訳です。
このレーザーは産業用に使うフェムト秒レーザーといって、硬い物質を加工できる強さを持っています。直接触れれば火傷しかねないシロモノですが、とても短い時間で点滅させることで、光るけれど火傷しない、火傷しないけれど刺激を感じる程度に調整しています。
触ると「ざらっとした感じ」(落合陽一)だそうです。触ってみたいですよね。
もちろん夢の立体映像までは越えなければならないハードルが無数にあります。
映像を大きくするだけでもとんでもないコストがかかります。1センチに満たない映像を映すフェムト秒レーザーの設備だけでも一式で数千万円。
映像を明るくするにも強さを上げると、火傷します。立体映像といってもレーザーは投影式なのでレーザーと映像の間に人が立ってしまえば映りません。人間の触覚もとても繊細で、触覚のリアルな質感を表現するにはプラズマでは無理かもしれません。
それでも触感を実現という、0(ゼロ)を1(イチ)にするブレイクスルーであることは確かです。全く新しい体験が出来そうな期待が湧いてきます。メディアアートの醍醐味のひとつはここです。
この驚きと感動の落とし所が技術よりだと「発明」、表現よりだと「アート」となります。それを決めるのは作者だけではありません。観る側も価値観、知識、感性を総動員して、作品を見立てていくことになります。
技術の黎明期の作品を後世になって見ると、使い物にならないオモチャにしか見えないこともよくあります。世界初の電球を現代に再現して点灯デモを行ってもチラッと光って消えてしまいショボいだけということもあるでしょう。
しかし当時は、その輝きに新たな未来が見えたはずで、観る者がどれだけ夢(妄想)を広げることができるかが、メディアアートを観る上で大事な要素だと思います。
いつか映画館のような立体映像が実現する未来が来るでしょう。触覚はおろか質量を感じさせるところまで進むに違いありません。その未来ではとんでもなく進化した立体映像作品を作るアーティストが活躍しているでしょうが、それでも落合陽一のこの作品の歴史的価値は揺らぐことはないでしょう。