・米谷健+ジュリア展 だから私は救われたい
・角川武蔵野ミュージアム
4F エディットアンドギャラリー
・2021年2月28日(日)
かねてから訪れてみたかった角川武蔵野ミュージアムに行ってきました。その名の通りミュージアムです。美術館ではありません。図書館と博物館がハイブリッドに合体した地域密着型施設です。図書館は1日いても飽きませんがそれは置いておいて、アートの話を始めましょう。
米谷健+ジュリア、二人組のユニットのアーティストの展示です。
作品は2つのタイプに分かれます。ひとつは真っ白なオブジェ、インスタレーション作品。もうひとつは、ブラックライトなどを使う暗闇で光る作品。どちらも作品名のパネルの側に補足情報を記したパネルがあり作品の意図を読みとりやすくしています。
・Dysbiotica
人の形をした3体のオブジェがセットになった作品。人の形と言っても全身が真っ白な珊瑚と貝に覆われている。それぞれ、男、女、子供だとわかる。家族かもしれない。パネルに解説がある、ー海中の珊瑚と藻類は相利共生の関係にある。だが外的なストレスが加わるとこのサイクルに異変が生じて藻類も異常をきたし、珊瑚は白化、やがて死滅してしまう。
真っ白な珊瑚と貝はそのままでも海の環境問題を表現しているが、人を覆い尽くした様は調和を失いつつある地球環境が人類を蝕み滅ぼしてしまうとも読めるし、現代社会の何か得体の知れないストレスで病んでいる3人家族の危機的な姿とも読める。見た目の綺麗さに反してあまり明るい作品ではない。
・Dysbiotica-Deer
壁にか何故、鹿の頭部。剥製のかたちになっている鹿は、全て珊瑚と貝に覆われている。今時、趣味で鹿狩りをする人がいるのか知らないが、自然を好きに開発できる力を持ってしまった人間の行いの行く末を白化した鹿で批判しているのかもしれない。剥製は語ることはないが、ただじっと我々を見つめ続ける。
・最後の晩餐
ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」に描かれているような横長のテーブルに沢山の食材が盛り付けられている。だがそこには誰もいない。
解説パネルには、大規模な農地の灌漑について記されている。かつてメソポタミアで行われた農地の灌漑では、始めは大量の食料生産を実現するもののやがて土壌の塩水濃度が高くなり、塩害をもたらした。これはシュメール文明崩壊の原因とも言われている。5000年前の持続可能でない古代文明の姿を示した真っ白なインスタレーション。珊瑚の白化と同様、調和を失った食料生産のサイクルの破綻が滅びに直結することを示唆している。
気になるのは「最後の晩餐」というタイトル。最後の晩餐といえばキリストとその弟子たちがいるはずだが、ここにはいない。そこで気づくのはこのテーブルを囲むのは他ならぬ我々鑑賞者だということ。この原寸大の晩餐は歴史上の人々のために支度されたものではなく、今日に生きる我々に向け支度されたものであるということ。キリストの予言にざわめく弟子たちのごとく、環境を壊しながら飽食を続ける我々に、裏切り者は誰なのか、自分が裏切り者ではないのかと問いかけている。
(つづく)