富士そばで晩ご飯を食べた。

カツ丼、温かい蕎麦のセットにちくわ天をつけた。

椅子に座って蕎麦に七味を振りかけている時、店内のBGMに、美空ひばりの歌がかかっていることに気づいた。

金曜、週末の夜に美空ひばりの歌を聞きながら蕎麦を食べる。昭和な時間が流れていく。

と、

ここまでなら庶民の日常な風景なのだが、おやっと思った。

その歌はAI美空ひばりの「あれから」だったからだ。


令和元年の大晦日、紅白歌合戦で初披露されたこの歌を先日六本木ヒルズで見た。

等身大のCG映像の表情と身振りは少し不自然さと違和感があるものの、本物との差異が判別できなくなるのも時間の問題だとわかった。

富士そばで聞いた時、始めは普通に美空ひばりのいい歌だと思った。

それは紛れもない事実だが「あれから」と気づいた時、複雑な心境になった。

本人が承諾していない以上、美空ひばりの歌でない歌を美空ひばりの歌として流すのは彼女の業績を勝手に改竄する行為であり、その人生に対する冒瀆となる。

だから「あれから」は、AI美空ひばりの歌であって、美空ひばりの歌ではない、この当然の事実は大切なことだなのだ。

よくアートを見る時、関連する予備知識や情報が必要なのか考えてしまうことがあるのだが、先人に対するリスペクトの証として、知らなければならないこと、伝え続けなければならないことがあると思う。

蕎麦屋に流れるBGMにそこまで拘ることもないが、思い込みが何かを歪めてしまわないよう、いつでも学びの姿勢はとっていたい。

そう思った。

で、

最後に、美味しいお水を一杯飲んで富士そばを出た。

寒い夜は、いい歌と温かい蕎麦に限る。