鴨長明『方丈記』 | takeのブログ

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思考の記録

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、

代々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。

或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。

所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡ににぞ似たりける。

知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。

又知らず、かりのやどり、誰が為に心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。

そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顔の露にことならず。

或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。

或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。



                                  鴨長明『方丈記』より





中学の頃に国語で習ったときには、この作品の内容の凄さを知らなかった。



川の水は今も昔も同じように流れているが、川を構成する水分子は常に入れ替わっている。

人体も同様で、一年前の自分と今の自分とでは体を構成する分子はほとんど入れ替わっていて、

元からあった分子は数%しかないとか。

でも昔も今も自分は自分である。

自分の部品は入れ替わっているのに、自分は自分であり続ける。

自分とは一体何なのか?



個体としての人間にとどまらず、種としての人間も個体が生まれては死ぬを繰り返し、

構成員は常に入れ替わっている。



生物は情報のようだ。

自己複製する情報。遺伝子=情報。

個体としての人間においては体を構成する分子が、

種としての人間においては個々人が、その情報の媒体なんだろう。



800年も前の人間も現代人も同じようなことを考えるものである。