お久しぶりです。shunです。皆さまお元気ですか?
久しぶりすぎて初登場の気分ですが、気にせず参ります。

今日11日は、東日本大震災の月命日ですね。
7月初めのことなので少し前の話になりますが、被災地へ花を植えるボランティアへ行ってきたので、そのお話を。

先日、公益社団法人:日本家庭園芸普及協会の復興支援活動「花いっぱいキャンペーン」の一環で、
陸前高田市で花を植えるボランティアへ参加させて頂きました。
陸前高田市は「奇跡の一本松」でよく知られていますが、
10人に1人以上の方が亡くなるなど、特に被害の大きかった地域の一つです。

追悼施設内の展示
旧「道の駅高田松原」内の追悼施設にて。少し見づらいですが・・・
街が一変してしまっている様子が分かりますでしょうか。

 

ガソリンスタンドに残る爪痕
花壇近くのガソリンスタンド(画像は2013年のものになります)。
少なくともめくれている所までは津波が襲ったことになります。


今回の現場は、国道45号線沿いに1kmにもわたって続く花壇です。
「フラワーロード陸前高田」という団体により、17年の間維持されてきたそうです。
この花壇も津波によりすべて流されてしまいましたが、
団体の方の努力・各地の支援もあり、現在花壇は一部復旧しています。
今回の作業は、こちらの花壇の植え替えです。

寄付によって集まった花苗延々と続く花壇
寄付により集められた花苗。

地元のみなさんがてきぱき動かれるので、作業はあっという間でした。

2012年・2013年も同じボランティアに参加させて頂いているのですが、
1年ぶりに訪問した陸前高田は、大分印象が変わっていました。
瓦礫もあらかた撤去され見渡す限り野っぱらな街に、
ひときわ異質にうつる鉄骨の建造物。

そびえ立つベルトコンベア

世界最大の土砂運搬専用ベルトコンベアだそうです。
高さにして15~20mぐらいでしょうか。
左奥に見える山を削り、土砂を市街地へ運ぶためのもので、
山からの掘削土で最大11mかさ上げして新たな街をつくる計画です。
ダンプトラックで10年かかるものが約2-3年で終了する予定で、
工事のスピードアップが図れるだけでなく、
市内を走る工事車両を減らし交通事故や交通渋滞のリスクの極小化もできるとか。
少しずつですが復興へ進みだしているようです。


今回はスケジュールに余裕があったので、
陸前高田以外の被災地も見て回ることができました。
南三陸町、大川小学校、石巻港周辺、女川町・・・。
現地の方にお話伺う時間もありました。

南三陸町防災庁舎

最後まで町民に避難を呼びかけ続けた女性職員の話でよく知られている南三陸町防災庁舎。
高さ12mのこの建物を襲った津波は、14mとも15mとも言われています。

大川小学校大川小学校の献花台 
多くの児童が犠牲となった大川小学校。校舎は当時の様子そのまま。
グランドだった場所は、シロツメクサで埋め尽くされています。
献花が途切れることはないようで、私が訪れた時もたくさんの花が手向けられていました。


どの場所も、街並みに、人の心に、津波の爪痕がまだまだ深く残っており、
今まで自分が見て分かった気になっていたものは、
本当にほんの一部でしかなかったと改めて痛感しました。

一方で、花植えボランティアを毎年とても楽しみにしている、
という励ましのお声を地元の方から頂きました。
花を見てるとやっぱり辛いことを忘れられるよ、
遠くからいろんな人が来てくれて色々おしゃべりできて楽しいんだよ、と。

私自身は年に1回訪れただけで何かした気になっている、
単なる自己満足のボランティアツアーなのかも知れません。
ですが、それでもやはり、年に一回ぐらいは被災地に来ないとな、
来年もここで花を植えたいな、と思うのです。

「被災地のことを忘れないでほしい」
現地の方の一言が、耳に残ります。


shun