早くも6月ですね。


ちょうど2年前、オイラは地元の病院に急遽入院して10日目ほどだった。



7番胸骨の骨折と言う診断であったが、そう簡単に骨折する骨ではないので骨折の原因を明らかにしないと治療にも移れず、ベッド上で寝たきりだった。


5日前に原因検査のため骨髄尖刺を行い髄液を外部検査に出し、結果がわかる日でもあった。


日中には懇意の若いヤツらの見舞いを受け、夕方には家族と共に結果結果の説明と治療方針を相談する予定だった。



その時間となり、まずは病名の告知がなされた。この時始めて正式に告知された。入院当初からの血液結果で疑いと言う前置きのもと病名は耳にしていた。



告知された病名は、やはり多発性骨髄腫だった。身近ではないこの病気とどうやって対峙していくのか、戦いが始まった。



主治医は整形外科の医師で、近隣の医大の医局に籍を置く医師だった。若いがオイラにとっては歯にものきせぬ言い様がすがすがしいしわかりやすく、頼もしかったが、細君にして見ればやや露骨で高飛車な印象はマイナスだったようだ。



整形外科の主治医からは多発性骨髄腫の説明は、思いのほか簡単だった。

この病気の治療は、血液ガンの一種と思って差し支えなく、指定基準を満たした専門病棟を有する病院でなければ行えないこと。

髄液検査結果からは、4期あるステージのうち3ステージの後期で急ぎ専門治療が必要で、いわゆる余命は一年未満で、何も出来なければ最終ステージは目前であることも説明された。

説明治療を行える病院は、自宅から1時間圏内でも数えるしかなく、病態からしても選んでいる余裕はなく、主治医が事前にベッドの空きなどを調べたところ、ふたつしかなく、翌日救急車にてどちらかに移ることになった。



細君は、娘が前年入院していた主治医が籍を置く医大を希望したが、結局ベッドは埋まり、翌朝に空きのあった残りの病院に移ることになった。

細君にして見れば残りものをあてがわれた印象でいささか不満ではあったが、結果としては自宅から一番近く、伯母の自宅からは至近で何かと都合は良かった。他の病院と比較するすべは無いが、病気と対峙するオイラ本人にして見てもベストの選択だったと思う。何よりこの病院も医師の多くは近隣の医大の医局に籍を置くか、そこの医局出身が多く、医大にありがちな若手医師のためのモルモット的な患者にならずに済んだ。







あれから2年、たくさんの方々に支えられ、迷惑をかけ、生きながらえています。



あと2ヶ月でオヤジが逝った年齢になる。



オイラには、6月1日はそんな日です。




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