享年50歳。親父が逝った年齢を今年迎える。

 ともかく大学生活に戻るが、いろんなことを考えて、池袋近くの住まいを大学近くにの下宿に引っ越し、大学にも行かずバイトに励んだ。新しくできた大学の友人達の代返やノートコピーのおかげで留年もなく二年に上がれた。
 いつしか彼女とも徐々に疎遠になると同時に新しく彼女ができた。看護学生で、しげく下宿に通ってくれた。二年の終わり頃には、彼女から結婚をほのめかしてきた。悪い気はしなかったが考えないようにしていた。彼女には小さいながら当時のバブルに乗じて好調な業績の証券会社を経営する伯父がいて、彼女の父親替わりだった。彼女は幼いころ父親を亡くしていた。オイラはこの伯父に気に入られて、大学を辞め彼女と結婚し、会社を継ぐ立場になることを望んだ。三年生に上がるタイミングで、大学の単位を取る課題で能楽鑑賞と浮世絵展を見に行きレポート提出ってのがあった。彼女とのデートで上野の能楽堂と銀座のギャラリーを選んだ。平家物語は高校時代に吉川本を読破し、敦盛の下りは分かりやすく印象的だったこともあり、能楽でみた敦盛はすんなり入ってきた。後にNHK大河ドラマの信長で本能寺の回まで信長の舞う敦盛が数回オンエアされたが、どれも印象的で、敦盛のくだりはオイラの死生観を支えた。話しは逸れたが、彼女は相変わらず結婚を意識していた。三年生になる春休みに地元に帰省し1ヶ月ほど工場で油にまみれてバイトしたが、実入りが良いので一年間休学して働くことにした。遠距離恋愛にはなるが、順調なら彼女の卒業と卒業後のお礼奉公の期間がオイラの卒業とタイミングが合うと、彼女は勝手に納得していた。
 そんな中、オイラの母親は戻った長男を手放したくなかったのか、勝手に公務員試験を申し込み、有らん限りのコネクションを使ってオイラを公務員にしようと画策し、見事に術中にはまり地元役所に大学を中退し、奉職することとなる。相変わらず彼女とは遠距離恋愛だ。どうみても公務員ってタイプでは無いオイラはいつか彼女の元に戻ると信じていたが、オイラが翻意した。順調ならお礼奉公の明ける直前のクリスマスにオイラからプロポーズした。かなわないプロポーズって確信していた。が、ケジメをつけるにはこの方法しか思いつかなかった。

 セリフは忘れたが、「結婚してこちらで暮らして欲しい」的なプロポーズだ。明らかに彼女の思い描いているものとは違い、数日後涙の別離となる。


 さて、奉職した役所では福祉の仕事を10年弱続けた。
 様々な障害を持つ人々とも出会い、絶えず無力感に苛まれていた。
 行旅者援助と言う仕事があった。役所が駅に近いためホームレスが一駅分の旅費を求めて立ち寄る。一応事情を聴取し、悪質な常習者でなければ300~500円を与える。ある日、それほど悪質では無い常習者が来庁した。聴取した際にポケットから小銭の音がしたので問い詰めると2000円ほど所持していたので、旅費は与えず帰した。小一時間ほどして、駅前交番から電話が入る。身元不明の飛び込み自殺だ。身元の分かる自殺は警察の仕事だが、身元不明の自殺は役所の仕事だ。
 仕方ないので現場に柩を持って行き遺体と線路に散らばった肉片を集める。遺体は先ほど帰した男だ。罪悪感がわかない筈が無い。
 自殺に限らず身元不明の病人も扱う。生活保護の現在地主義だ。ホームレスの行き倒れ。管内には総合病院があり、これらも扱う。
 自殺しようが病死しようが、生きていようが、その身元は洗い出す。わずかな手がかりからその身内を洗い出し、引き取りを依頼する。例え見つかったとしてもスッキリとした気分にはならない。おかげで20代でオイラが思いつく限りの自殺遺体や変死体の全てを扱った。全てが死生観を支えている。

 結局20代で結婚し長女を授かったが、オイラはバセドウ病にかかり長期療養の果て甲状腺一部切除をした。このオペの直前に公務員を辞め、病気の療養明けで、介護の世界に足を踏み入れていく。
 公務員だったキャリアは法律や条例などの役所文書が読めて理解し解説できるという一点で優位だった。相談員やソーシャルワーカーとして役人とも渡り合うが役人の立場も理解できたため、同僚より好条件で折り合ったり、ダメな時にはクライアントへの説明もパターンを選んでするため、いつしか正義の味方みたいに勘違いされることもあった。

 ワーカーの立ち位地は難しい。クライアントに寄り添いすぎてもケガをする。ワーカーはドクターでなければナースでもない。クライアントの見立てがワーカーの経験からの確信と異なっていたとしても、ドクターには諫言できなかったりする事がある。結果、無為の死に臨床することもある。
 逆の例が延命であったり安楽死だったりする。

 役所を辞め介護の世界に踏み入れたばかりのころに母親がスキルス癌に侵された。告知はせず、周囲にも話さず、オイラと妻、弟夫婦だけの秘密にした。母親は体力が尽き、転移した膵臓と胃を切除し自宅に戻るが家族の期待も虚しく自宅で脳死状態になり病院に戻り、数日後交代で付き添っていたオイラだけに看取られ他界した。
 葬儀の際に会葬のお礼に合わせ、本人に告知できず結果周囲にも真実を告げられず、葬儀の際に真実を知らせる結果になったことを謝罪した。
 享年55歳

 以後オイラは、
 「親父50お袋55。俺は60まで生きれば道理が立つ」と、公言してきたが、このていたらく。

 オイラの仕事を通して見つめ直す、両親の死は確実に今のオイラの死生観を支えている。


 


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