こんにちは、conです。思ったより筆が進むのが速いです。カラーとか凝った記事にしたいんですけどPC開くの面倒くさいので多分ずっとこのままです。
 今回は過去の振り返りの第二回、中学時代の勉強編になります。記憶が飛んでる部分もありますが、一つのサンプルとして誰かの参考になるように頑張って書こうと思います。
 
一年生・・・
小学校の時もテストはそこそこ取れてましたし(但し成績は悪い)中学入学前の三月くらいから塾に通わせて貰っていたので、少なくともできる側の人間ではあったと思います。ただ授業態度や提出物に問題があり成績はあまり良くなかったです。確かオール4くらい。
 他塾の県模試の結果は偏差値50位で、学校内では中の上くらいの立ち位置でした。まだ部活のやる気があった時期でした。

二年生・・・
後期の成績が受験に影響するので塾の時間も増え、少しずつ受験を意識するようになりました。正確な推移は覚えていませんが、偏差値が一気に上がりました。その要因は勉強に対する意識の変化だと思います。そして意識が変わったのは三つの理由があります。
 まず、前回の記事でも書いたようにサッカー熱が冷め、勉強では負けたくないと思うようになったこと。
 二つ目が姉の存在。私には三つ上の姉がいるのですが、私の中学入学と同時にそこそこ難関の県立高校(旧制の横浜第◯中)に入学。志望校を考える際、当然先に受験した姉の事も考慮するのですが、私は姉をなめていたので「姉より上の高校に行く」というふざけた目標を立てる事に。そうすると自宅から通える公立高校だと三校に絞られ、うち二つは堅苦しい校風が好みでは無く一瞬で候補から消えることになりました。そして後に進学する高校が公立の第一志望に決まりました。早くから目標が決まった事と、不純ながら動機があった事は一番良かった事です。姉に感謝。
 三つ目は同じ塾のメンバーに恵まれた事。やはり環境は大事です。私は姉と同じ代ゼミ系列のちょっとマイナーな塾に通っていました。その塾にいた面子が、頭が良い上に面白い人が多く塾に行くことが苦になりませんでした。
 ちなみに、その面子の最終学歴はMARCH未満が二人で内一人は日東駒専です。高校受験では落ちた人もいましたが皆優秀で、仲間であり良きライバルでした。
 結果が伴っていた事もモチベーションになっていたとは思いますが、環境が一番大事だったと思います。

 テストの成績は順調だった一方で、学校の成績は芳しくありませんでした。受験に使う後期の成績が39or40 /45でした。第一志望の合格者平均は42くらい。苦手だった技能科目はともかく、確か理科で4とってました。
 また、成績が低いと私立の併願校の選択肢も狭まり、加算点を得るために英検準2級を取ることになったりもしました。

三年時・・・
三年になった頃には県模試の偏差値70は切らなくなり、塾内でも少し抜けた存在になっていました。
 私みたいな不真面目な人間が成績を維持できた事には絶対的な理由があります。それは、常に上を見ていたことです。
 学校のテストの為の勉強に余裕ができてきた事もあり、個別指導を受講し、国立高校を目指すことに。
 他塾の難しい模試を受け、自分が井の中の蛙だった事を痛感しました。そのおかげで勉強を続ける事ができ、県模試では偏差値70をキープし続けました。
 また、繰り返しにはなりますが環境に恵まれました。私の中学には難関校を受験する人間が相当数いたので、クラス内にも自分より上が何人もいて、私は学校のトップ10どころか20にも入れてなかったです。
 そんな環境だったので自惚れる事がなく受験対策に挑めました。
 同じ塾の仲間が結構高校受験で結構落ちたのですが、彼らは別に格上に挑んだ訳ではありませんでした。むしろ、まあ受かるだろうと思っていた人が落ちていました。当然本番に強い/弱いというのもあるのでしょうが、成績に余裕が出て少し気を抜いた時期があったんじゃないかな、と思います。
 これは経験として絶対に言っておきたい事なんですが、受験勉強において早くから安定志向になるのは絶っっっっっ対にやめた方が良いです。

 「この成績だと厳しいから確実に受かるこの学校にした方が良い」と言う大人、いっぱいいます。彼らは不合格で行きたくない学校に行くことにならないように善意で言っているのでしょう。
 ですが、まだ未熟な中学生にとってその言葉以上の罠はありません。勉強が好きな子供なんて滅多にいません。志望校を下げて良い(=勉強量を減らして良い)と大人に言われれば喜んで飛びつくでしょう。そして余裕があるから…とサボり気づいたらもう二度と最初の志望校には届かなくなります。
 恐らく、高校入試くらいのレベルだと下げた志望校にすら受からない、ということは少なくです。
 でも、出願する直前まで志望校は変えられるんです。内申点が足りないとか、模試の成績が伸び悩んだとか、そうなったら直前に志望校を落とせば良いんです。確かにすぐには気持ちを切り替えられないかもしれない。入学しても心残りになってしまうかもしれない。だけど、結果は同じです。
 なら、その心残りを大学入試に繋げられるように、少しでも上の学校に行ける可能性を残すために、子供には常に上を見させるようにした方が良いというのが私の持論です。
 誤解がないよう補足しておきますが、どうしても行きたい学校がある子にも無理して上を目指せと言う訳では無いし、見るべき「上」にも適度という物があります。ただ高校入試の場合、場所的に選択肢が限られる都合上学力を基準に志望校を選ぶ場合が少なくないと思うので、その場合は安定志向になるべきではない、ということです。

 そんなこんなで上位層には適度に馬鹿にされつつ受験を迎えました。最初は併願校の試験。内申点でほぼ合格は確約されているのですが、一応特進コースに希望を出していたので真面目に受けました。手応えも悪くなく終わり、無事合格。特進コースにも受かっていたので調子に乗っていましたが、同じ中学の子が特待生で受かったという話を聞き自分は凡人であることを再確認。
 続いて国立。正直、全然受かる気がしてませんでした。数学が難関校レベルには全く届いておらず、他も平均を取るのが精一杯だったのであまり期待はしてませんでした。
 結果を見ると、当然不合格。分かっていたつもりでしたがそれでも相当ショックを受けました。始めての不合格。自分は勉強においても凡人だという事実を突きつけられました。
 日が変わり県入試当日。こちらが本命ということもあり国立に落ちたショックはあまり引きずらずに挑めてたと思います。想定倍率が低かった事もあり、内申点は足りなくても自信がありました。
 受験が終わった後は塾に行き、自己採点。私はかなり出来が良く、期限が良かったのですが、空気が何やら重たい。
 苦手の数学も満点で大喜びしたかったのですが、とてもそんな雰囲気ではなかったことを覚えています。出来が良かったらしき友達と喜びを分かち合いつつ、明らかにやらかしていた仲間を励ましたりしました。
 この時、受験の残酷さを痛感しました。自分の努力が落ちた瞬間ゼロになるって恐ろしいですよね。勿論、勉強してきたことに価値があって、落ちることで成長する面もある。でも、結果だけ見れば成果ゼロであり、やり直す事はできない。
 多分、私のような軟弱な人間が受験に失敗していたら不登校になっていたと思います。だから、高校受験で失敗して、それを糧に大学受験で挽回した友人達のことはとても尊敬しています。

 上位校ほど狭き門なので当然ですが、学校でも私より頭が良かった筈の人達が結構受験に失敗していました。その為、進学実績では私はTOP20くらいには入り、クラスメイトからの評価も少し変わりました。
 まあ、オタクで陰キャで部活で活躍もしてない、割とふざけてばっかだったので難関校に合格した事でようやく実力を認められた感じですが。

  受験を振り返ると、本当に環境って大事だと痛感します。ライバルがいることや、周りの大人が下ではなく上を向くように指導してくれたこと、勉強が苦にならないこと。どれか一つでも欠けていたら私は第一志望の高校にはいけてなかったと思います。

 こうして受験を一応は成功で終わり、高校へと続いて行くわけですが。振り返ると、中学時代から後に留年という大事件を引き起こす要因は現れていました。
・提出物や課題で手を抜きがち
・朝起きれず部活の朝練にいけない
・劣等感
それまで偶然なんとかなっていただけで、留年はこれまでの積み重ねで起こった必然なんだと痛感しています。

ということで中学編終わりです。ご覧いただきありがとうございました。
 次回は…多分就活の報告になると思います。ただ、なんだか筆が進むのが早いので過去の振り返り高校編になるかもしれないです。それでは。