ご住職と話した時に時間を戻す。
問題になっている家系を教えてもらった後、コツコツ先祖供養をする様に勧められた。
私は過去、それらを行ってきた事、現在よそでお願いしつつも、自行で行っているを伝え、未だに解決に至らない事を話した。
すると、
「地蔵さんを建てて永代供養するやり方もあるにはある。しかしこれは金がかかる。そこまでせんでもええんちゃうか、値段が安いものでもないからね。」
ご住職は、よほどな場合はそれをするという事だった。
しかし、かれこれ10年この事と向き合ってきたのだ。
父親に至っては10年寝込んでしまっている。
私にすれば余程よっぽどである。
それに、父親が高齢でもう時間はそう長くない。少しでも楽にさせてやりたい、最後の親孝行という気持ちがあるという思いも伝えた。
自分でも永代供養の相場は大体知ってはいたが、それ以上だった。
聞いた金額はとても簡単に出せる金額ではなかった。
さすがこれは.....と思い踏みとどまりそうにもなったが、体で、肌で感じていた因縁の重さがある。
それに以前知り合った能力者の女性にも、この問題を何とかしないと、あかりさんが何をしても上手く回っていかないと言われた。
これには、痛いくらいそう感じて生きてきた。
私自身、いつも光を忘れずに進んできた。はちゃめちゃでクソみたいな人生でも、心はいつも明るく前向きだ。
転んでも、もうダメだと孤独に喘いでもくたばらずにきた。
派手に転んでも、ただでは転ばないと必死で生きてきた。
上手くいかない事を環境や人のせいにはしない。この世を通して見る世界は全て自分しかない。
しかし、そう思っていても、いつも天井にフタをされた様に進まないでいた。感覚的にまるで膜で覆われた様な感覚が幼少期からずっとあった。
何故、自分より愚痴も不満も多く努力と無縁の様な人が上手くいっているのだろう?嫉妬というより、疑問がたくさんあった。
人より学び、行動もしてきた。前に進もうと一生懸命ペダルを漕いでも、それは空の様で一向に進まない。
足元をすくわれる。
なぜだろう。
じぃちゃん先生には、いつも業が深く生まれていると言われ続けてきた。
体に刃物が入り過ぎていること、幼少期大怪我をしたこと、先天性の病気を持って生まれたこと、この学びの多い家族に生まれたこと、、と書けばきりがないが課題が多いは、すなわち今世では、それだけ業の消化を数多くせねばいけないということになる。
業の消化は本当に苦しい。
しかしこれは前世から持ってきた宿題の様なものだ。
自分で乗り越えるしか道はない。
誰かに頼ったり、どっぷり依存したりしても一時的には良くても、あまり意味はない。
運命と受け入れて、今世は心や魂の修行だと授かった、自分の能力をめいっぱい使い、毅然とやっていくしか道はない。
自分を救えるのは自分自身しかないのだ。
それを念頭におき、努力の末、それでもどうしようもなければ、最後に見えない世界の疑問をもつのが正しいことだと思う。
それと問い合わせがありますが、迷いが多く精神が不安定な時は、下手に神仏事(宗教など)をしている所に関わらない方が良いです。
判断力が鈍っている時は見極めが難しい上、すべてそう言った事に繋げてしまうからです。
ただでさえ判断が難しい世界です。
心身が弱っている時は、まず休む努力をするのが第一で、行動は元気になってからです。
まずは現実的なことから行って下さい。
数日後には、供養のお金を包んで再び会いにいった。
この様な金額を包んだ事も過去なかった為、布施袋がより重く感じた。
永代供養をお願いしたいと、費用を持参した事をご住職に告げた。
「まぁ、どこまでできるかは、わからんけども、やってみます」
ご住職は短冊の様な紙を引き出しから出し、そこに2家の名前を墨で書く。
「これをどこでも良いから、家に飾りなさい。大体完成するのが1カ月くらいやから、またその頃来たらよろしい。」
この意味は完成を確認しに来たらという意味で、お参りには、特に来なくても良いとのことだった。
思わず「え!来なくていんですか?」と聞いてしまった。
「んなもん、わしが毎日拝んどるんやさかい」
この関西風のあらくたい話し方がどうも癖になる.....
紙に書いた、この2つの名前を地蔵菩薩に彫り、完成すれば、これから毎日永代供養してもらえるのか。
ご先祖様、良かったね。
長らく苦しんでいるであろう、成仏していない仏様々たちも、さぞ喜ぶだろう。
私は、心の中でご先祖の仏様に対して手を合わせ語りかけた。
安堵感が湧く。
永代供養はきちんと祈りの力がある僧侶や、よく人が参り、頻繁にお経が上がっているお寺が好ましい。
そして、そこから一カ月たった頃、体に異変が起きた。
続
○お願い○
いつもブログをお読み頂いて、ありがとうございます
いくつかメッセージを頂いております。
大変申し訳ありませんが、全ての記事において、人物や団体を紹介したり、供養などに関する個人的内容に言及する事はしておりません。私はごく普通の占い師です。
あくまで、記事は私が体験しているものを載せているだけに過ぎず、こういう事も世の中にはある、という何かしらの気づきになればという気持ち、そして自分の記録的な覚悟書として書いています。
全て事実のみで書いておりますが皆様には単純に「読み物」としてこれからも見て頂けたらと思います。
akari