タイトルの通り、人の人生は不公平だと常々考えています。また努力が報われるかというとそうではないとも思っています。こんな事を書くと頑張った事は報われないかと辛い気持ちになりますが無気力


私達は、三次元という同じ世界を生きていますが、あの世から背負ってきた課題や前世での行い、先祖の因果や業など、たくさんの事が複雑に絡み合って今の自分がある様です。

例えば順調に行っていたのに突然やる気をなくしてしまったり、何故かわからないネガティブな感情がここぞという時に湧いてきてしまう、などは先祖の感情だったりします。


肉体や細胞だけではなく、感情までもがその影響下にあるなんて、一見ほんまかいな?ですが子々孫々と受け継がれたてきた、御霊、魂の分霊と考えるとさほど不思議でもありません。

そんなわけで、その影響やルーツ、命術でいえば課題表とも言える生まれ持ってきた命盤など、全ては当然それぞれの生き様や傾向が十人十色であり、ひとつとして同じ人生ではありません。


しかし人は自分がどれほど、幸福なのかを知るために、まわりの人たちと比べるという事をします。そこからまた持っているもの、持っていないものを見ては苦しみや嫉妬、味わいたくない感情が生まれ、それらが人生をさらに左右する様に思います。


自分より持つものが多い人を羨んで、嫉妬心で苦しむのか、例えマイナスからのスタートでもプラスに傾く努力をして歩むのか、ここからの方向性はその人次第ですが、嫉妬はとてもしんどい感情です。内側に向けてしまうとメンタルも酷く痛めてしまいます。


私もこういった感情で、随分しんどい思いをしてきました。


ですが、先に書いた様にさまざまな影響があり、背負ったものもバラバラで、この世に生まれている為、誰一人同じ様な人はおらず、比べる事自体が不毛で、無駄な事なのです。


それでも比べてしまうのは物質世界で生きる私たちには、所詮仕方のない事の様な気もしますが。。えーん


目に見えないところで先祖の影響を強く受けて生きている私たち。先祖の影響は比較的、長男長女に出やすいと言われています。その家の状態を判断するのは、長男長女の状態を見れば大体わかるとも。


私は同じ姉弟でも生き方や物質的、社会的評価は、雲泥の差で存在しています。クソだと思った私の人生は、実はほとんどが家系の因縁によるものでした。この話の前に、この業や因縁というワード。個人的には、あまり使いたくはないのが正直なところでした。理由は、巷にたくさんある「神仏ビジネス」が盛んな事があります。


信仰している人や、神仏に関わる人というのは、無意識に聖人君子の様なイメージを持ちやすいです。


そういった事をアピールしている人が、人助けの仕事をしていれば尚、立派な人にも見えてしまいます。今はネットが主流の世の中なので、それなりに立派なバックグラウンドを文面や内容から感じ取れば、無意識バイアスがかかり、すごい人、素晴らしい人だと思い込む人も多いです。


しかし実際表向きや肩書き、バックグラウンドが立派でも、人間性に問題がある方が多い事実もあります。それは私自身多く見てきました。不思議事、神仏信仰を承認欲求のように頻繁に羅列して、自己アピールの道具になっている昨今。


私のブログの記事は、タイトルがふしぎ探訪とあるので、目に見えない事柄の記事が比較的多いですが、こういった話題になると、見に来て下さる数がガガっと上がります。好きな方が多いのだと感じます。でも私が書いている内容も疑うくらいで丁度いいと思っています。


次に続きます。