※生死など、少しセンシティブな内容になりますので苦手な方は、回れ右をお願いします。

 

 

以前書いたこの記事。

色々な思いを持ってこの記事を書きました。

こういうパターンに陥った人と出会ってしまう人は意外に多いと思います。

優しい人、困っている人を見ると無意識に反応してしまう人、同情心を持ってしまう人などなど。

 

私は、昔から人に依存されたり頼られる事が

本当に多かったわけですが、決して共依存のようなタイプではありませんし、よくある使命感を必要以上に感じて反応して、何とかしてあげなければ!という気持ちは、近年は持つことを止めていました。

 

困った人を見て、必要以上に反応する心理の下には、ネガティブな側面から見れば、場合によっては自分の、ぽっかりあいた足りない空間を満たすものであるという側面があります。

 

自己確立ができていない若い頃は、必要以上に、人を救いたいと思っていた時代もありました。自分自身の事よりも相手を最優先は当たり前。

その奥底には、自分の存在価値を人を助ける事によって再確認したいこと、または「認められたい」いう気持ちもあったのかもしれません。


しかし、こういった思いは、若い頃は多少なりとも、皆あるのではと思います。


大人になっても、必要以上に過剰反応して、異様に使命感を持ってしまう人の中には、自己肯定感の低さと成長過程での影響が大きいと感じます。

 

化科タイプの私は、困っている人がいると、これまた必要以上に手を差し伸べて寄り添ってきましが、しかし、それをしたからといって、良い結果になることは、1つもありませんでしたえーん

 

先述のブログの様に、その人達は正しい答えやアドバイスが欲しいのではなく、単純に愛情不足から来ているからです。

話を聞いて欲しい、構って欲しい、相手をしてほしい。望むのはそのあたりです。

 

昔のように、なんでもかんでも手を差し伸べて、話を聞き、励まし、その人の心が軽くなる言葉をかけてあげることは、一見優しさになりますが、長い目で見れば、本当の助けにはならないことを、何度も何度も同じ経験を通して気づいたことでしたショボーン

 

その結果、私が選択した行動は、過去の人達のような依存気質で、すぐに誰かを頼ろうとしている人には、あるラインまでは付き合い、それ以上ならば、

遠くから見守り、

「その人が乗り越えなければいけない課題」と理解して、冷静に受け止める。


そして、私自身が孤独の中でも、ひとつひとつ乗り越えてきた様に、その人も、きっと乗り越えられるはずだと、信じて希望を託すこと。

 

一見すると冷たい行動に見えるかもしれませんあせる

 

 

そういった人から見た景色は、ずっと相手をしてくれた人を善、離れていった人を悪、のような感想を持ちやすいです。

 

最後まで残って相手をしてくれた人を褒めて、賞賛したりなど、本当に自分をわかってくれた人という括りです。そして、致し方なく離れてしまった人に大して感謝はありません。その人が悩んで離れた事など想像もできませんし、「離れていった」という事実しか受け止めれません。

 

離れてしまった人はどういった心持ちで離れていったのか。。そういった事に気持ちを傾けることができる人であれば、本当は、たくさん人に恵まれた人であることに気づけますが、、自分を俯瞰して見る事が極端に難しいタイプの為、どこまでも自分は可哀想という定義です。

 


 

去年、ご近所の年下の女性と話す機会があり、その人は何度か、顔を合わせる人でした。

とある専門的なことで、相談にのったところ、その人から、ある日突然、自殺未遂したけれど、実行できなかったとラインが入ってきました。


実際には具体的な方法まで書いていました。

 

 

私は、一瞬動揺しました。

 

こういうSOSは、本当に大変な事になる場合も

ありますが、過去、幾度似た感情をぶつけられた事がある私は、途端に悲しさと怒りが湧きましたチーン

こういうとき、昔ならば、大騒ぎしていた私。

しかしその時は、

「あぁ、またゴミ箱になってしまった」と冷静に思ったのでした。

相手はその言葉の衝撃がどれぐらいのものか、わかってやっているからです。


やっている本人は、自覚ありませんが、今ならわかります。こういう事を言われる私は、頼られているのではなく、そういう事を言っても良いと思われている人だということ。


複雑な思いがわき上がりました。

 

経験が浅い昔ならば、すぐに反応して、どうにかしなければいけない!と使命感に感じて、自分の事の様に奔走していました。

しかし、冷静になると、この関係の浅さと、最近出会った人に、この様な衝撃的な言葉をぶつけてくる彼女に対して、まともに話を聞いてはいけないと、黄色信号が出ました。

 

しばらく様子をみて、やりとりをしていましたが、後に聞いたところによると、旦那さまの友人など、色々な人にそういう事をしていると聞き、私の反応は間違って居なかったのだと思いましたチーン

 

 

 

 

先日、似た様な体質の友人と話していたところ、

サービス業についている、その友人は、お客さんから

「あなたは、旦那さんをダメにするタイプだね」とたしなめられたと話してくれました。

 

その友人も、すぐに手を差し伸べてしまう人でした。

彼女曰く「本人の為にならないと分かっていても

やってしまう」と。これは旦那様以外にもそうだとの事でした。

 

しかし、彼女もまたそれらが、良い結果になったことはほぼなく、自分の満足感だけが残るだけ、と話していました。

 

その友人と私は、何となく雰囲気も似ていて、他人をはねつける様なオーラがありません(笑)どちらかというと、明るくドンと受け止める様な、癒し力も強いイメージなタイプでもあります汗うさぎ

このオーラは、普段色々な人を寄せ付け、警戒心が強い人も、寄ってきてくれますが、時にはそういった「依存的」な人には、カッコーの依代となる様です照れ



実際は今年も似た様なケースがありました。前に進んで欲しいと、その方に尽力しました。しかしそう簡単ではなく、程なく時間を置くことがありました。やはり心配になった私は、連絡をしようか迷った為、何度となくそれが正しい行動か、断易に答えを求めました。結果は、何度もやっても「凶」でした。

一週間たって、数度占断しましたが、ことごとく「凶」....

連絡をするなという答えでした。


そして、その答えを表す様に知人から、同じ事を繰り返しているという話を聞きました。

一緒に悩み、考え助言した、数々の言葉はまったく意味をなさずでした。虚しさと疲労感だけが残りました。


その時、私が連絡をしていたら、想像通り同じ事を繰り返していたのだと、出た結果は正しかった事がわかりました。



本来寄り添ってしまう性格だからこそ、プライベートでたまにある、こういった人との交流。

本当に難しいなぁと感じます。

鑑定ならば、別ですが、プライベートで何とかしてあげなければという思いは、その動機はどこから来ているのか、自己満足なのか、本当にその人の為になるのか、冷静に物事を判断する力が必要だと思います。


またその判断が、本当の意味での「助け」に繋がるのだと。。

日々勉強の毎日です。