私のブログには
普段出てこないテーマです。
少なからず
悩むこともありまして。
でも、私が想うような悩みは
もうすでに
先人方が悩みつくしてくれていて
私が考えあぐねて出したようなこたえは
もうすでに
先人方が出してくれている
(むしろもっと、素晴らしいこたえを)
いまさら
自分だけが苦しいような
顔をするのは
はなはだ、おこがましいのかもしれない。
「中道」
という教えについて
少しだけ想いをはせた一日でした。
何事にも極端にならず
バランスをとって生きる。
当たり前のようで
なんで難しいことなんでしょう。
でも、これは極端を知った人間でしか
真の意味を知ることはできない、とも思うのです。
ブッダは、とても苦しい修行をしたからこそ
尊い覚りをひらいたのだと
私は思っていました。
(…すみません。本当に無知で(@Д@;
今まで仏教、ひいては宗教に興味を持ったことがなかったので)
そうではなく、
苦しいこの極端な修行は
意味がない、と
悟ったことで
覚りをひらいたのだそうです。
自分が今までしてきたこと、信じてきたこと、
こだわってきたこと、しがみついてきたこと
手放したくないこと、手に入れたくて仕方がないこと
(私はこの辺のものを、煩悩と捉えました)
これらを、潔く捨てる、ということ。
なかなか受け入れることは
できないことでしょう。
そんなブッダをみて
離れていった人もいたそうです。
煩悩に支配されるから、
人は苦しむのだそうです。
それらを逃してやると
苦しみからも、解放される。
…深すぎる。
煩悩=悪
というわけでもなさそうなところが、また深い。
話を中道に戻しますが、
ふっと、昨日のテレビで見た
体操の平均台を思い出しました。
平均台の幅は非常に狭い。
両足を並べて立つことはできない程です。
しかしながら、きちんと芯を捕らえると
バック転だってできます。
しかし、その中心を外すと
当然、台から落ちてしまいます。
奇をてらわず、中心を歩くということ。
まずは、そこから始めてみよう。
色んなお寺に
お参りしてきましたが
これからは、もう少し
違った見方でお参りできるような
気がしてきました。
なにより、ブッダという人が
思いのほか
人間くさい人だったことに
驚きました。
だからこそ、人々の信仰を集めたんですね。
…実家には仏壇も神棚もありますが、何かヽ(;´Д`)ノ