パステルシャインアートからのいろいろ。
「何のために」を越えよう。
それって「何の役に立つの?」を越えよう。
わたしの視座で
「見える」「わかる」を超えていけ。
遊びながら
ただただ純粋にやってみたい
その魂の声に寄り添え!わたし!
公美子さん、お写真ありがとうございます^ ^
嬉しい!
午後からのみんなとの対面の前に、
1記事書きたいなって思う。
最近のわたし、
「書く」ではなく
「描く」に移行したら、
内的な世界観がみるみるうちに豊かになって
不安を感じなくなった。
良いことにフォーカスできるし、
自分の気持ちに正直に選択できてるし、
楽しいことにフォーカスできるし、
やりたいことをやる、その行動に
純粋にコミットできてるし、
感謝したいことに溢れている。
ホントすごく不思議。
だけど、自分を信頼して
流れに身を委ねる。
これってすごく大事なのかも
そう強く思ってる。
結果が分からない、
どこに行き着くのかゴールも定かじゃない、
何キロ走り続けるかも決まってない、
その途中で犬が出てくるかもしれない、
やっぱりうちに帰りたくなるかもしれない、
心許ないかもしれない。
でも、世界を信頼する。
わたしを信頼する。
わたしがわたしの
本当にやりたいことだけやって
忖度せずに生きることをゆるした
この先にどんな未来が待っているのか
見てみたい。
楽しい。
なんか分からんけど、
みんなも楽しい。
これでいいんだ。
これでいい。
いいんだよ。
わたしは自由だ。
自由に遊べ!わたし!
個人内忖度問題について
書きたいなって思います。
なんだその言葉は?と思われましたか?
個人が、上司に対してとか
義理両親に対してとか、
社会に対してという
個人の中で起きている
ちいさなちいさな忖度についてです。
忖度とは、
他人の気持ちを推し量ること。
わたし、今日の朝夢を見て目覚めて
ハッ!としたのですが、
そうゆうことかあ〜と。
沢山の「個人内忖度」を繰り返してきて、
「自分への忖度」を同等に扱わないと
人の行動や言動にイラっ!とするんだ。
ちょっとしたことだけど、
メッセージ読んでる?と思う返信。
そこにちいさなもやっとが生まれた。
その一瞬で、
忙しいのかもしれないよね。
仕事の合間に返事くれたのかもね。
そんな風に個人内忖度。
頼まれたからせっかく丁寧に確認したのに!
なんで、聞き落とすわけ?
もう!ぷんぷん。
心の中のちいさな紺ちゃんは、
怒って拗ねています。
そこで決まって最後に出てくるのが、
「わたし大切にされてないんだ」
そう強烈に感じてしまった経験の積み重ね。
どうしても、そこと繋がりやすいんです。
家族にも、出会った人たちにも
大切にされてきた。
なのに、もっともっとと思ってしまう。
ちいさな赤鬼みたいだなあ。
大切にすべきは、
まず自分が先だよね。
忖度云々の前に、わたしへの忖度。
やりたくないなら、やらなくてもいい。
嫌なら、嫌でいい。
言われ方が嫌なら、嫌でいいし。
でも、相手もね相手で在る「自由」が
あるんだよ、ちいさい紺ちゃん。
相手はその人自身が
自分を幸せにするために人生を生きているし、
わたしはわたしを幸せにするために
生きているんだよ。
だからね、
それはちいさな紺ちゃんを大切にしていない
わけではないし、
粗末に扱っているわけではないんだよ。
だから、大切にされたいならば
自分を大切にできる形を自分で尊重して、
目の前にいる相手の愛を見て、
受け取って、感謝して生きていかない?
愛を循環させていかない?

