友達じゃなかったことにしたフランソワ君から
今日、メールが返ってきた!
実に6日越しの返信(T ^ T)
6日分のイライラと、悲しみと、期待と不安が
いい意味での裏切りで、ばふんと弾けた(O_O)
メールには、謝罪と言い訳が
フラ語と日本語で綴られていた
言いたいことはたくさんあった。
メール一通、一言くれるだけで
状況は全然違ったのに、とか
メールを打つ時間すらない程忙しかったなんて、
そんなことあるのか、とか。
けど、そんな恨み言を言うべきではないと思った(。-_-。)
せっかく返信してくれたのだ!
すごく忙しいのに、何日も前のメールに
遅れても返してくれたのだ!
それはどんなにか勇気のいることだろう!
怒られるのを覚悟でくれた、それに感謝するべきだ、と。
大丈夫だよ、事情はわかったから( ´ ▽ ` )ノ
でもね、実はすごく落ち込んだんだ、嫌われたかと思ってσ(^_^;)
メールありがとう(^^)
というような、怒りの感情を極力排除したメールを送った
それでも、言葉の裏に別の意味を込めてしまったのは
私がまだ未熟な証拠(笑)
その後、冬休み中に会えたらいいね、なんて話をして
メールは終わった。
大人になるってどういうことだろう?
今回のメール事件、
自分ではすごく大人な対応をしたつもりだ(笑)
感情を理性で抑えるのが、
大人になるってことなのだろうか?
いろんな儘ならないことを、
しょうがないの一言で諦めてしまうことだろうか?
菩薩のような寛大な心を持つことだろうか?
大人って難しい。
二十歳になって選挙権を得た
お酒も飲めるようになった
自己責任で全て片付けられるようになった
もう、大人にならなければいけない年齢だ
小学生の時に、
母は、母も、一人の人間なんだ、
と唐突に悟ったことを思い出した
彼らは親という生き物ではなくて、
間違えもすれば失敗もする、
一人の人間なんだ
それから、あまり両親に期待しないようになった
もちろん両親のことは大好きだけど、親だから、という理由で
いろいろ期待するのは少し酷な気がした
だって彼らは、
親だからという理由で
たくさんのものを犠牲にしているから
いつだって自分のことを後回しにして
子どもの幸せを願っているから
今だって充分に
個を捨てて役割に生きているのに
それ以上を求めるのは、
なんだかかわいそうだった
彼らには彼らの人生があって、
私には私の人生がある
私たちは全く別の生き物で、
一人の自立した人間なんだ
世の中に大人という生き物はいなくて、
あるのは大人にならなければという意思の集合体が
作り上げた理想像
そんな気がした(*^_^*)
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