全国学力テスト。
年一回実施されるこのテスト。
たった一回の試験。
しかも、測れるものは限られている。
そんな中で、数字だけがひとり歩きして、その県や学校の「評価」につながってしまう。

「学校ごとの成績を公表しろ」とか、
「あその学校は平均点が低いから、よくない学校だ」とか、
「わが県(市)は何をしておるのか」とか、
「教師は教える力がないのか」とか、
いろいろ批判的な言辞が乱れ飛ぶ。
あろうことか、「平均点が下位の学校の校長名を公表する」とかと言っている知事もいる。

学校現場にいる者の経験として言えば、年一回の試験でその学校や生徒の実力を「すべて」把握することは無理だ。
一学期の試験では上位だった者が、二学期は下位の者ががんばったために、上位でなくなるなんてことはざらだ。
同じ学年の一年間でもそうなのに、ましてや学年が進むにつれて生徒の学力はさまざまに変化していく。
たった一回の試験だけでつかめるものはわずかなことだ。

わが校は何番?
わが県は何番?
下位の学校はけしからん!
たった一回の試験でこうまで話が飛躍する。
いや、恐ろしい。

生徒の学力は同じ曲線で伸びていくものではない。
早い者は早く進むが、遠回りしながら進む者もいるわけだし、それに学力といっても様々だ。
今回のようなテストでは測れない、プレゼンテーション能力やら芸術的感性、予測不可能な事象への対処能力、ディベート術、サバイバル術、統率力。。。。。。
ざっとふりかえってもこんな力も、広義の「学力」であろう。

教科書の例題や問題練習を解けるだけが学力でないことは確かでしょう。
たった一回の試験で、いい大人が右往左往して目くじら立てるのはどうか。
もちっと、冷静におおらかに見つめてほしいものだ。


今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。
『手に鳴らす夏の扇と思へどもただ秋風のすみかなりけり』(藤原良経)
今日は夕方から涼しい風が吹いてきて、思わず思い出した鎌倉時代の和歌。