今年も甲子園はにぎやかである。
連日NHKは放送しっぱなしであり、新聞各社も扱い方が他のスポーツと別格の扱いである。
テレビのニュースや新聞記事には、その学校の名前が繰り返し繰り返し露出する。
これを、宣伝費に換算すると相当な額にのぼるはずである。

野球だから、1回戦の1試合目の1回から最後まで、放送もされ、記事にもされる。
同じ高校生のスポーツとして、他のどの部活動よりも優遇されているのが野球である。

だからこそ、野球部の生徒には他の部活動とは違う “もの” が求められるはずだ。
それは、自分を厳しく律する心構えや行動であったり、求道心であったり、モラルであったり、礼儀であったり、「馬鹿さ加減」であったりする。
高野連がよく、問題行動のあった高校の野球部を対外試合停止にしたり、監督やコーチに処分を下したりするのも、他の部活動とは違う高度な倫理性を求めているからだろう。

だが、これが末端の一野球部員まで浸透しているかというと、そうではないから困ったものだ。
いや、高校生といえばやんちゃ盛りの年代でもある。
そこをわかったうえで、いかに倫理性を彼らの中に植え付けるか。
指導者の苦労は並大抵ではないと思う。
なにせ、幼い頃から「野球」しか考えられない頭に育ってきている生徒が多数いるのだから。

だからこそ、甲子園の実況でアナウンサーが美辞麗句を駆使して、高校野球を「美しいもの」に仕立て上げようとする態度に、疑問を感じざるを得ない。
もう少し、その生徒の「肉声」が聞こえる取材ができないものか。


今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。
ご存知のように、野球には物騒な用語が氾濫しています。
死球、盗塁(二盗・三盗・本盗)、暴投、併殺(二重殺、三重殺)、狭殺、犠打、妨害、振り逃げ。
「死」・「盗」・「暴」・「殺」・「犠」・「妨」・「逃」・・・・
こんな用語が今も生き生きと使われています。
もちろん、それが仮に「併殺」であっても、誰かが「死んだ」なんて誰も思いはしないのだが、ま、このような用語に、少しく違和感を感じざるを得ないのです。