高校3年生にとって、来週から学年末試験(卒業試験)があるため今日が最後の授業日であった。
高校卒業という節目を迎えようとしている生徒たちに、なにがしかの感慨があるようで、最後のクラスの授業の始まりに記念撮影をしてくれと言われ、一緒に写真に納まることとなった。
どんな顔で写っているのか、自分で確かめるのは怖い。
精一杯の笑顔になったつもりではあったが。
さて、生徒たちは高校卒業という節目を迎えるわけだが、人生にはほかにもいくつかの節目がある。
たとえば七五三、小中高の入学式と卒業式、成人式、結婚式、還暦とか。
いずれもその年齢になって迎える節目である。
その節目節目で来し方を振り返り、次の節目への行く末を計画する。
そうやって70~80年という人生ののっぺりとした時間にくさびを入れて、節目と節目の間を意味づけして生きていくのである。
私も自分なりに節目を設けてきたつもりではあるが、ではその節目と節目の間を思い通りに生きてきたかと問われると、からきし自信がない。
のっぺりと生きてきた気がする。
でも、いずれは「定年」という大きな節目がやってくる。
その節目の後には何が来るのか、今はわからない。
定年という節目を越えると、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿という長寿の節目はあるようだが、はたして自分はどの「寿」まで生きられるのか。
わからない。
それに、たとえば高校の卒業のように、あらかじめやってくる時が計算できる節目と違って、定年以後は節目の時が計算できない。
計算できないのであれば節目とは言わないのかもしれないが、それでもなんらかの節目を設けないと、またもや時間がのっぺりとしてしまうのではないかと思う。
今思っているのは、定年以後は5年ごとに自分なりの節目を設けるということだ。
65歳、70歳(古希)、75歳、80歳(傘寿)と。
もちろん、その節目まで生きているとは限らないが、やはり節目を設けて「明日がある」と思って生きた方がよい生き方ができるのではないか。
その節目を迎えられるよう、一番気をつけなくてはならないのが心身の健康だろう。
昨日のようなことは今後ないようにしなくては。
とりあえずは、定年を超えたらどういう節目にすべきなのかを、そろそろ考え始めることにしたい。
これが今年の一つの目標かもしれない。
今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。
節目があってこその人生だなと最近わかってきた気がします。
高校卒業という節目を迎えようとしている生徒たちに、なにがしかの感慨があるようで、最後のクラスの授業の始まりに記念撮影をしてくれと言われ、一緒に写真に納まることとなった。
どんな顔で写っているのか、自分で確かめるのは怖い。
精一杯の笑顔になったつもりではあったが。
さて、生徒たちは高校卒業という節目を迎えるわけだが、人生にはほかにもいくつかの節目がある。
たとえば七五三、小中高の入学式と卒業式、成人式、結婚式、還暦とか。
いずれもその年齢になって迎える節目である。
その節目節目で来し方を振り返り、次の節目への行く末を計画する。
そうやって70~80年という人生ののっぺりとした時間にくさびを入れて、節目と節目の間を意味づけして生きていくのである。
私も自分なりに節目を設けてきたつもりではあるが、ではその節目と節目の間を思い通りに生きてきたかと問われると、からきし自信がない。
のっぺりと生きてきた気がする。
でも、いずれは「定年」という大きな節目がやってくる。
その節目の後には何が来るのか、今はわからない。
定年という節目を越えると、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿という長寿の節目はあるようだが、はたして自分はどの「寿」まで生きられるのか。
わからない。
それに、たとえば高校の卒業のように、あらかじめやってくる時が計算できる節目と違って、定年以後は節目の時が計算できない。
計算できないのであれば節目とは言わないのかもしれないが、それでもなんらかの節目を設けないと、またもや時間がのっぺりとしてしまうのではないかと思う。
今思っているのは、定年以後は5年ごとに自分なりの節目を設けるということだ。
65歳、70歳(古希)、75歳、80歳(傘寿)と。
もちろん、その節目まで生きているとは限らないが、やはり節目を設けて「明日がある」と思って生きた方がよい生き方ができるのではないか。
その節目を迎えられるよう、一番気をつけなくてはならないのが心身の健康だろう。
昨日のようなことは今後ないようにしなくては。
とりあえずは、定年を超えたらどういう節目にすべきなのかを、そろそろ考え始めることにしたい。
これが今年の一つの目標かもしれない。
今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。
節目があってこその人生だなと最近わかってきた気がします。