お盆の最後の夜。

ご先祖様が出発される夜。

送り火をして見送ります。

また、来年語らいにおいでくださるように。


送り火を焚きます。

風がやや強くて炎が揺れます。

揺れるほどに何かを思います。

とりとめのない何か、です。
ウィノローグ winologue


それにしても、京都の大文字の送り火や長崎の精霊流しの規模の大きいこと。

イベントと化しているこれらの送り火にも、やはり死者をうやまう気持ちは込められているのでしょうね。

燃え盛る火を見て、人は死者の魂となにがしかの会話をしているのでしょう。

「私を見守っていてほしい」というつつましい願いもそこにはあるでしょう。

「家」や「家族」が崩壊しつつある現代、お盆はまるで夏のバカンスと受け取る人もいるようですが、死者と繋がる自分を見つめなおす、いいきっかけだと思います。


子どもの頃はお盆というとやたら抹香臭い行事だし、墓場が近くにあったせいもあって決してり楽しいものではありませんでした。

しかし、最近は死者と向き合う貴重な機会を提供してくれるものだということがわかってきました。

たぶん、こう考えるようになったのも年齢のせいでしょう。


今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。

親の死に 会いてお盆の 意味をしる というところでしょうか。