わが校は私立である。
月々の授業料は公立より高い。
その高い学校にやってくる生徒の多くは「高い授業料を払わざるを得ない状況に追い込まれて来ている」というのが本音だろう。
もし、彼・彼女らが県立にも簡単に合格できる学力の持ち主だったら、まずほとんどは私立には顔を向けない。
少なくとも私立を第一志望にすることはない。
県立にうかるかどうかのすれすれの実力の子たちが、県立を受けて、やっぱりだめで滑り止めの私立に入ってくるパターンが多い。
または、もともと県立は高嶺の花なんで私立にしました、という、あきらめ派の子たちも多い。
そういう子たちと保護者には、高い授業料を払うんだからそれなりの対価をくれよな、という意識が募る。
その対価が彼らの欲求にフィットすれば、たぶん文句は言わない。
しかし、フィットしなければどうなるか。
つまり、彼らの漠然とした期待を裏切ればどうなるか。
当然のごとく反発する。
それは学校の教育方針だったり、日々の生徒指導だったり、教科指導だったり、学級経営だったり、はたまたエアコンの運転だったりする。
それらと最前線で格闘しているのが、私立学校の学級担任である。
その苦労たるや、私も今年担任をして、つくづくわかる。
「退屈な授業」を居眠りしている生徒を起こし、起こしても再び寝るなら教室の後ろに立たせ、「眠り」を妨害されたといって暴れまくる生徒をなだめ、すかし、威嚇して、なんとか授業の机に座らせる。
礼儀作法を身につけさせるために、職員室の入り方から指導し、名札がなければ入室を許可せず、許可しても職員室での教員へのタメグチを注意し、職員室を出るときにだまって出て行く生徒を後ろから追いかけ、職員室を出るときの挨拶を復唱させる。
これだけでもすごくエネルギーを使っているのだが、それでもこうやって日々生徒と格闘するのが教育なんだと、自らを鼓舞する人たちによって現場の学校教育は成り立っているのだ。
それでも、これらの指導のいちいちに目くじらをたてる保護者がいる。
我が子かわいさはあるだろう。
だが、三者または四者面談をしている席上で、さも自分の子どもに何も悪いところはなく、非は全て学校にありとする保護者がいるのは、、、、、ホント、なぜなんだろう?と思う。
たとえば、携帯は本校では持ち込み不可であるが、それでも持ち込む生徒はやはりいる。
発見したら保護者を呼んで注意するようになっている。
すると、ある保護者いわく。
「携帯ぐらいもってきてもいいじゃないですか。授業中に見ているわけではないし。
私たちと連絡をとりあうだけですから。家庭の事情があるんです。
なんで学校が我が家の携帯にまで口出しするんですか」と。
この意見、我が家の論理はあるけど、学校の論理には無頓着だということを表している。
あるいは、「なんであの先生がうちの子の担任なんですか?うちの子はあの先生が嫌いなんです。(高い)授業料払っているんですから、もっといい先生にしてください」ということがあったりする。
「おっしゃる一理、わからいことでもないが、それ(保護者の要望)はなかなか(叶えるのが)むつかしいです。
あなたのお子さまにとっては相性が悪いかもしれないが、他の生徒は何もいってきてません。」
「じゃあ、うちの子が変だと、ほかの子と変わっているとおっしゃりたいんですか?」
「いや、そうではないんです。生徒と先生の相性の問題はたしかにあります。
ありますが、好きな先生の授業だけ受けていればいいんでしょうか。
相性が悪くても付き合わなくてはならないという場面は大人にはたくさんありますよね。
お子様がこのまま嫌ってばかりいて、はたして本人の精神的成長はあるんでしょうか」
「うちは高い授業料を払っているんです。なんとかしてくれるのが学校なんじゃないですか?」
「学校にも学校の事情があります」
「事情なんて私にはわかりません。うちは、選んでこの学校に入学させたんです。なんとかしてください」
「そこまでおっしゃるなら検討はしましょう。でも、それがお子様にとってよいことかどうかは、保護者の方がお考えくださいね」
といって、ある日の保護者とのやりとりは終わった。
(つづく・・・)