昨日、熊本の長男宅に泊まり、今朝早く出発して一路大宰府へ。

九州国立博物館の駐車場入り口に7時過ぎには着く。

すでに前に3台の車が止まっていて、駐車場のゲートが開くのを待っている。


7時40分ぐらいにゲートが開く。

人気の展覧会とあって博物館側も早めの対応をしてくれているのだろう。

ありがたいことです。


展覧会の開場は9時30分。

それまでの時間は村上春樹の『1Q84』を読んで過ごすことにする。

開場入り口にはテントがしつらえられていて、そこに開場待ちの行列ができる。

8時にはすでに200人ぐらいが並んでいた。

私の順番は7番目。

その様子をメールでかみさんに送ったら、「あなたと同じような趣味の人がそんなにいるんかね」という返事。


そして8時40分過ぎに開場。

8時47分に、誰もまだ周りを囲んでいない阿修羅像と対面なる。

早く並んだ功と、九国の配慮に感謝。


初対面の阿修羅像は、あの憂いと悲しみをたたえたお顔でそこにあらせられた。

合わせられた両手は何を祈っておられるのか。

そのお顔から発せられる言葉は、言葉の形をとらない言葉となって見るものの心に響いてくる。

左側の下唇をぐっとかんだお顔は、戦いの神であった阿修羅の定めを悔いるものであろうか。

右側の語りかけるようなお顔は、その定めを憂い、悲しむものであろうか。

そして正面のお顔は、己の運命を超えて衆生に人間の根源的な哀しみを語りかけてくるようなお顔だ。


ウィノローグ winologue


しばし、阿修羅像の周りを周回しながら、その精巧で緻密な表現を目に焼き付けた。

阿修羅像を含む八部衆像のそれぞれも、表情豊かな個性的なお顔ばかりであった。

それとは対照的だったのが、興福寺中金堂の四天王立像の力強さ、迫力であった。

これはやはり、平安末期から鎌倉時代という武士が台頭してきた時代の作だからだろう。

それにしても、これらの像が木造であることに驚く。

これだけの大きな仏像が作れるだけの大きな木があったということ、それを迫力のある像に仕立てる造形力の豊かさ。

彩色こそ時代を経てくすんでいるものの、製作者の気迫・熱気・意思・情熱がひしひしと感じられる。


圧倒されっぱなしの2時間だった。