Myself
・一夜明けて、ホールの用意してくれた朝食を食べる。
・ごはんとみそ汁と漬物だけのシンプルな食事。
・まるでお寺の修行僧並の食事である。
・午前中、子どもたちを家に返し、昼に東京から帰ってくる兄を迎えに行く。
・母が入院してから、いつ容態が変わるかわからない可能性もあったので、母が話せるうちに帰ってきてほしかったのだが、とうとうそれもかなわなかった。
・普段から兄のことを心配していたはず。
・いろいろあって私の前で兄のことを言い出すのは控えていたが、やはり気にしていたはずだった。
・12日に帰ってくる予定だったが、母の命はそれを待てなかった。
・「昨夜は知り合いの方と飲んだ。やりきれなかった」という。
・ホールに帰り、兄は初めて母の亡骸と対面する。
・きっと胸に詰まるものがあっただろうが、さすがに取り乱すわけにはいかなだろう。
・線香をあげ、かみさんと話をかわす。
・通夜は6時30分からである。
・夕方近くなって、母の亡骸を棺に納める。
・兄や子どもたちといっしょに亡骸を納棺する。
・軽いはずの母の体重に、ドライアイスや敷物などの重みが加わり、けっこう重く感じられた。
・子どもや孫たちに納めてもらって、どう思っていただろうか。
・夕方、親戚の方々がやってくる。
・6時過ぎぐらいから地元の高岡町の方々、母のかつての勤めの関係の方々、私の学校関係の方々、親戚、知人など多くの方が見えられた。
・喪主席でそのたびに頭を下げる。
・今までもいろいろな方の通夜に出かけていったが、こうやって遺族側に立つのは、なんだか奇妙な感じもする。
・葬儀は神式。
・神主さんの声明に合わせて合掌・礼拝をいっせいに行う。
・玉ぐし奉奠など一通り儀式が済んだ後に、一般通夜となって焼香などがある。
・母のかつての仕事仲間の方々、地元の方々などが母の顔を拝され、「まったくねぇ・・・」と涙を流される。
・「いい顔しているね」「よくがんばったね」「●●ちゃん、お疲れ様だったね」など。
・「なんで入院を知らせてくれんかったの」と言われる方もいたが、チューブを付けられた母の入院姿を誰彼にでも教えられるものでもなかった。
・7時30分過ぎには通夜の方々もほとんどお帰りになり、通夜会場の隣の控え室で、遺族だけでの会食をすることになった。
・会食中でも、遅れてやってこられる方々もおられ、なかなか忙しい。
・東京の兄、かみさんの妹、高岡の親戚の方、熊本の義兄、私の家族。
・それぞれが母の思い出を語り合いながら、通夜の一夜が過ぎていった。