突然ですが、
「今日も新鮮!国語辞典」第5回目!
「偏見」
「かたよったものの見方、考え方。公平を欠いている意見。」(例解)
「公正を欠く見解。」(新明解)
なんだ、どちらも平凡な説明です。
偏見が政治のダイナミズムや人間関係の悲劇をもたらすものであるということについての認識が感じられません。
特に、あの「恋」や「恋愛」で独創的見解を開陳している「新明解」には期待してただけに、あまりにあっさりすぎる!
ぢゃ、ここからは みかっち版国語辞典 『偏見』の説明です。
「偏見」
偏った意見、見解。公正さを欠く意見。
ただし、偏っているか、公正さを欠いているかは時の権力構造や、時代の機運、その集合体構成員の醸成する空気等によって恣意的に判断される性質がある。
また、偏見とされたものが後世において、最もすぐれた見解であったとして再評価されることもしばしばある。
こんなものではないでしょうか。
話を昨日の話題にもどせば、今回のミーティングで、自分のやってきたことが他者から見れば「ひとりよがりのもの」と評価されているんだということに気づかされました。
前々からそういう風に見られているんじゃないかという空気みたいなものは感じていたんです。
でも、あらためてミーティングという公の場で、そういう批判的な意見を言われると、ずんとこたえます。
そして、それがミーティング全体の空気なんだなと感じさせられるとなおさら。
もちろん、その意見を言った人は自分の価値観でものを言っているだけなんですが、問題はその価値観を絶対と信じている点にあります。
その価値観が、相対的なものでしかないということはわかっていない。
つまり、その価値観は客観的に診断されて正当性を保障されたものではなく、ある方向に偏った意見でしかないのだということです。
(続く)