最近のことです。
11/14(sat)
■クリストファー考■
初ルミナス。
は、あのミネアポリスのでっかいドラムセットプレイヤーと共に。
久しぶり。
相変わらず、全てを自分色に染め上げる太鼓で。
アコースティックなBattlesみたいなバンドでこの人の太鼓を観てみたいなあ、
なんて雑念たっぷりに聴いてた。
11/13(fri)
■篭る■
『TOCHKA』
最終日。
立ち見が出ているユーロスペースを初めて見た。
雰囲気も、音も、荒涼とした風景も、延々と続く標準語の独白も、すごく好きなんですが
ずっとこんな深くて闇いものに魅かれていていいのか。
パンフレットに監督(松村浩行)と批評家(鎌田哲哉)の往復書簡が載っているのですが
監督が自作について「あれはこういう意味、だったのではなかろうか」と応えていて、
自分でも分からないというそんなものなのかな、などと大変面白く読みました。
でも、手紙の中で語られる昨今のエーガ界の背景もよく分からず、
批評家に突っ込まれている監督の個人的な体験も、、、やっぱり個人的なもので、
大半は何を言ってるのかわかりませんでした。
11/18(水)
■こちら側■
作:Sarah Kane・演出:飴屋法水
今年は『転校生』に始まり、『4.48サイコシス』に終わる、のかも。
今年はまだありますね。
またも、ピアノの音に脳天から直撃を食らったのはともかく、
ホーメイ(ホーミーではないらしいです)
調べてみれば、AlayaVijanaの山川冬樹。
地の底から這い上がってくる、血の底から湧き上がってくる、ような音。
1人の精神病者の自死に至るまでの数多くの脈絡のある言葉、無い言葉が
老若男女国籍を問わない12人の演者の声によって紡ぎ出される。
ネタバレ(か?)ですが
舞台と客席が反転しており、客席に舞台が、舞台にパイプ椅子が、と
のっけから心臓を鷲掴みにされる演出です。
ある台詞の中で
「私は狂人ではない、病人なんだ。だからあっち側とこっち側の区別は、つく」
というものがあり
観客である自分が赤い溝を隔てたこっち側にいるのか、それともあっち側にいるのか
堂々巡りで考えることになりました。
もう解放してくれ、、、と叫びたくなる瞬間もあったのですが
その男(かサラ・ケイン自身)が赤い溝に足を踏み入れるその瞬間を
刮目して見届けなければならない、と、とにかくそう思いながら
自死を暗示するするそのシーンに至った時、
じわりじわりと境界線へ躙り寄る男を、
「それでも止めるべきではないのか?」
そんな考えが頭を過ぎりました。


