立て続け(~3/27)
『ゴースト・ドッグ』
を観ました。
観そうで観なかったジム。
「葉隠」を愛読書とする孤高の殺し屋、ゴースト・ドッグ。
友達は伝書鳩。
ハイチ出身の密入国者でフランス語しか喋れないアイスクリーム屋も友達。
もちろん言葉は通じねえ。
出てくるマフィアは皆ジジイ。
マフィアの大ボスはアニメ好き。
何じゃ、この設定?
「狙った」感が丸出し。(狙われてんのはオメーだ kj 日本)
「おお、クール・・・」
「うわ、だせえ・・・」
大抵、この二つの感嘆に落ち着きました。
が、前者より後者のシーンの方が面白かった。
関係ないけど、マフィアのジイさんたちがNew Orderのメンバーに見えてしまった。
『ファンシィ・ダンス』
を観ました。
古!古!
なぜに60年代の風景よりも80年代の風景の方が古臭く感じるのでしょうね。
そんなことをのたまふ00年代後半。
20年代に現代の映画を観たらオレは何て言うのかな。
中村一義のアルバムタイトルみたいな話になりましたが、
面白い。
実家の寺を継ぐために住職の資格を得る必要があって禅寺で修行。
前提からして、主人公にヤル気が欠片もないんですが
ワザと棒読み調にした台詞回しがまた笑いを誘います。
周防正行監督の作品って「鉄板」ですね。
矢口史靖監督とか、日本映画というジャンルの一角だと思います。
せめて「日本アカデミー賞」って名前だけでも変えれば良いと思うのですが・・・
それはともかく、俗世と隔離された(という名目の)禅寺の風景は良いですね。
修行の内容や、禅寺の掟など衒学的に説明しながら話が進行するのも楽しめました。
京極夏彦の「鉄鼠の檻」のよう。
『カナリア』
を観ました。
傑作『害虫』の塩田明彦監督作品。
地下鉄サリン事件、阪神大震災からもう12年ですか。
今、自分の半生がちょうど1995年以前と以後に分けられる、と考えると変な気分です。
特に凄い作品ではありません。
『エレファント』がコロンバイン高校の事件を契機に作られたように
『カナリア』はもちろんオウムをきっかけとして描かれた物語です。
極めて個人的なことですが
この映画は私の映画観を再認識させました。
何度も引用してきた淀川長治さんの「どんな映画にも一つは良いところがある」という言葉なんですが
エンディングで使用されるZAZEN BOYSの"自問自答~カナリアバージョン"。
この映画はココ。
それまでヒロインの劇画調関西弁にイライラしたり、
西島秀俊の説法めいた役回りに躊躇ったり、
「教育」と「実験」の違いは何かと考えたり、
「宗教」というものをさらに抽象化普遍化汎用化していくと「哲学」になるのかと考えたり、
クライマックスの主人公と祖父との対峙のシーンに呆け唖然としたり、
無論これらもこの映画を通じて私が受け取り咀嚼しようとしたこととして大事なのですが
おそらくこの先『カナリア』を思い出すと"自問自答"が出てくる。
それが結局は私の映画の観方なんだなあと思いました。
追記1:
主人公たちの母親役が甲田益也子だったのです。
実は彼女のデビューが『ファンシィ・ダンス』での尼さん役だったのです。
宗教めいた役柄を二本立て続けに目にすると奇妙なものがある。
『殺しの烙印』
を観ました。
意味不明。
追記2:
この日記、まとめて書いているので思い出しつつ、という作業なのですが
3月24日はONKANの追いコンだったんですね。
そういう事情(どんな事情だ)もあってゼヒとも『カナリア』の"自問自答"が聴きたかったわけです。
福岡ね。つまり向井秀徳ね。
『ゴースト・ドッグ』では「葉隠」の思想が語られ、
『ファンシィ・ダンス』では甲田益也子が尼さん(追記1)
そして『殺しの烙印』の暗殺仕方が『ゴースト・ドッグ』ではオマージュとして鈴木清順に捧げられています。
もちろん狙ったワケじゃないですが、こうして見ると
何かしら各々の作品に縁が発生してるではありませんか。
「夜は短し歩けよ乙女」(森見登美彦)の第二章を読んだ方ならお分かりでしょうが
作品の連鎖って、自覚すると少しぞっとして、少し嬉しい。



