9日分の日記なんて書く気も起こらないので、いつもどおり映画の感想と最近ぼんやり考えていることをば。


lily chou-chou

「リリイ・シュシュのすべて」


文句なし。オープニングから天才的な映像。作中のリリイ・シュシュというシンガーはビョーク、UAまたはCoccoといったカリスマ性のある歌い手として設定されているのですが、実際リリイの歌声を演ずる(という表現には語弊がありますが)のはSalyuというシンガーだそうです。先日スペ中に出演しているのを見ましたがナニワのおばちゃん(ホメ言葉のつもりです)といった感じの人でした。Lily chou-chouとしての音楽も素晴らしかったですが、このSalyu本人名義の歌もとても良いです。


問題作、残酷、目を背けたくなる、という人もいるようです。目を背けたくなるというのはたしかにその通りで、俺の場合作品の前半がそうでした。一転して主人公を取り巻く世界が地獄の様相を見せる後半では、むしろ食い入るように眺めていた記憶があります。前半にはその世界がいつ崩壊するかも分からない不穏さがあります。この感覚については後述する「蛇イチゴ」と同じものがありました。


後半、感覚が麻痺したかのように観れたのはおそらく、もうこれ以上は堕ちることはないだろうという安堵です。麻痺しているが故に画面の隅々、音の断片がフィルターを取っ払った自分を直撃するようでした。ただ眺めている、という状態です。そんな経験は初めてだったので、観終わったあとは夜明け前だったのに全然眠れませんでした。別に目が冴えたわけでもないのですが。凄かったです。


ikinai

「生きない」


ダンカン脚本のこれまた問題作。ある朝起きてみて何とは無しに「『七人の弔』が観たい」と思ってまずは「生きない」を観ようと思ったのでした。「七人の弔」に関してはまたいずれ。


やっぱり北野映画との比較で話したくなりますが、色彩に関しては正直比べ物にならないくらい貧しいです。もしかすると意図的なのかもしれませんが。随所にメタファーとして缶蹴りがセピア色で出てくるので

それを意識したのかも。舞台は沖縄ですが、同じく沖縄を舞台とした「ソナチネ」の鮮明さはありません(あくまで色彩の話です)


ダンカンは自殺ツアーのコンダクターなのですが、予想通りの怪演です。ビートたけしより凡庸な風貌なだけに不気味さが際立ちます。柄本明みたいですね。予想以上だったのが、大河内奈々子。ツアーに紛れ込んでしまう唯一、ツアーの目的を知らない女子大生の役なのですが、「牡丹と薔薇」でくらいしか演技を知らなかったので、どんなもんかな、と。その役の設定も相まって、とてもコミカルかつ必死な具合でした。

観て良かったなあ、という映画では必ずしも無いのですが、観るべくして観てしまったような気がします。


画面の明るさを除けば、面白い映画だと思います。


余談ですが、同時に黒澤明の「生きる」をゆーじろが借りていたのは笑えました。


12 angry men

「十二人の怒れる男」


古典作品です。「疑わしきは罰せず」という近代刑法の原則を痛感できます。


内容は12人の陪審員が父親殺しの裁判にかけられている少年の有罪、無罪を巡って議論しあうというものです。てかオチまで含めてパッケージの裏に書かれてしまっているのですが・・・まあ有名なオチなので、内容を知っていても問題は全く問題は無いと思います。

この映画は三谷幸喜が「十二人の優しい日本人」という作品で見事パロディ化しているのですが、こちらも素晴らしいです。俺は順序としては逆のパロディ→オリジナルと観たクチなのですが、オリジナルを観て思ったのは「三谷幸喜って凄かったんだ・・・」ということ。どちらの順序でもオススメできます。今度はオリジナル→パロディと観てみようかな。


the pianist

「戦場のピアニスト」


問題:ピアノ弾く以外は何もできない男は戦場でどうすればいいのか。


結論:どうもできない。


徹底した主人公の「傍観っぷり」が凄いです。主人公は何もアクションを起こさない、世界が動いていくという図式。これは今までに無いんじゃないでしょうか。戦争に巻き込まれる一市民(ユダヤ人ではあるけれども)の視点には、「戦争」=「世界が狂う」としか見えない、そんな感じがしました。


そのくらいしか言えません。どうぞ観てください。


hebiichigo

「蛇イチゴ」


これは凄い映画ですよ!誰が誉めようが貶そうが、絶対に推します。


見た目は問題無い家庭が、勘当されていた兄(宮迫博之)の偶然の帰還と同時期に見えなかった綻びから破綻していくわけなんですが、これはよく言われるようなある家庭の崩壊~再生、というわけではないと思います。


「再生」なんてものは無いし、その得体の知れないモンスターのような兄と、倫理を重んじる妹・その名も、倫子(つみきみほ)の対立も無ければ、その妹の倫理観の調伏も無い。


前述の「リリイ・シュシュ」ように、前半は破綻しかけた家庭が眺める観客としては何とも居た堪れないのですが、一度瓦解してみれば、まるで青空教室のような清々しさです。


そうは言うけれども、青空教室なんて雨が降っても陽が照り付けてもしのぐ物は無いし、きっと最悪ですよ。開放感があるのは、その断片を切り取った瞬間だけであって、後のしんどさを考えれば何としても崩壊は食い止めた方が良いのでしょう。


でも観ている俺は、こう思ってしまうんです。


「こんな状況、さっさとブチ壊せよ」


「壊したはいいけど、その後はどうするの?」


「そんなん知らんわ」


big fish

「ビッグ・フィッシュ」


久しくこういう映画・映像を見ていなかった気がします。冒頭、語りから始まるストーリー。ラスト、語りで締めるストーリー。


今回並べた映画の順番はそのまま私が観た順番なのですが、最後に観て良かったとも思うし、最後にしてはツメが甘いなとも思いました。


典型的な良い話、というと皮肉っぽくも聞こえてしまいますが、その字面通り受け取って下さい。良い話です。惜しむらくは、もっと作中においてエピソードが欲しいと思いました。ファンタジーと呼ぶよりはサーカス(フリークスも含めた)そのものなので、もっと多種多様なごった煮のような構成でも良かったような気がします。


つまりは綺麗にまとめ過ぎ。


inu


「最近」

→6000曲を超えました。

→悪い癖が鎌首を擡げ始めています。「大事なもの」を捨てる癖です。正直白状するとかなり深刻です。


「捨てる」

→昔から何かの区切りの際に、それまで大切にしてきたものをいとも簡単に捨てる悪癖があります。捨てるのは、ずっと集め続けてきたモノであったり、続けてきた習慣であったり、最悪の場合は人のつながりであったり。

→自分では惜しいとは思っていないことが、さらにタチが悪いです。


「白状」

→深刻です。今はまだ自覚があって「捨ててはだめだ」という意識が働いてますが、どうなるか分かりません。この場を借りて身の上話のような、恐ろしく恥ずかしいことを書いているのは、自戒のためであり、これを目にする俺のことを知っている人に、この悪癖を知ってて欲しいと思ったからです。


「たぶん」

→「リリイ・シュシュ」「蛇イチゴ」を見てどちらも崩壊後の状況を絶賛しているのは、この悪癖の兆候だと思われます。

→ゼミに顔を出したくないのもそのせい、というとギャグですが。

→おそらく「離れられるのが嫌だから、自分から離れる」という心理が働いています。

→ふとした瞬間に「みなさんさよなら、ONKANさよなら、ひかげさよなら、アンチさよなら、カミヒトエさよなら、アフターさよなら」て言いそうでしょうがないよ。いやだ。


「最後」

→こんなん書くのはこれを最後にしたいと思います。