タイトル、ハリーポッターと賢者の石、みたいで気に食わないな。まあいいか。
本日は1日予定がないハッピーデー。
僕が唯一贔屓にしているというか唯一買ってまで読みたいと思う小説家である
舞城王太郎の新作が発売になったので当然買う。書店の開店と共に買う。
長編の純文学作品。ビッチばっかり寄ってくる男の子とその家族の話。
相変わらず何が面白いのか説明し辛いけど圧倒的に面白い。
彼(彼女)の前では村上春樹もレイモンドカーヴァーも半周遅れだ。僕にとっては。
以下、新潮社のサイトで読める立ち読み部分。
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「すねなんか好きなだけかじればいいけど……」とお母さんが言う。「心はかじられると、痛いし、辛いし、ねえ、苦しいし……かじられた分、心ってのは削れて減るんだわねえ……」ダイニングテーブルの上は土曜のお昼ご飯の片付けが綺麗に終わり、椅子に座ったお母さんは凄く痩せていて、私はテーブル越しにあ、そうか、違うこれ痩せてるんじゃない、お母さん、減ってるんだ、と思って、言葉の真実味がひしひし、怖かった。
お母さんの心をかじっているのはお父さんと友徳(とものり)で、お父さんはそのとき浮気癖状態だった。毎日毎日カレーばっかり食べてられないだろ、とお父さんは言っていた。ハンバーグとかゴーヤチャンプルーとかたまには食べたいんだよってそれ、そういうありふれた言い方ってどこで仕入れてきたんだろう?くだんない言い回し。ゴーヤチャンプルーなんて中一のときの私は知らなかったけど、お父さんが馬鹿なのは知っていた。女の人を一品料理に喩えるなんて本当に底が浅いと言うか、人間ってものが判ってない。お母さんだけじゃなく、全ての女の人は、人間は、何か一つのものであったりはしない。むりやり食事に近づけて言うなら、少なくとも一冊の分厚いメニュー本ほどはあるはずだ。カレーも出すしハンバーグも出すしゴーヤチャンプルーだって何だって出てくるのだ。もちろん和食とか中華とかフレンチだのイタリアンだの人によってお店にもいろいろあるし雰囲気だって趣向だって違うだろうけど……だいたいカレーだってそんな、毎日食べられないってほど単純なものじゃないはずだ。だってインドの人はいろんなカレーを毎日食べてるんでしょ?この世にはいろんな具材や調味料があるから、スパイスの王国インドの人なら多彩なカレーを作れるはずだ。ってまあ私までカレーにこだわって喋る必要はないんだけど。とにかく私はお父さんのそういう、どこかで聞いてきたような薄っぺらい言葉を聞くのがホントに嫌いだった。俺は船でお前は俺の港だよ、とか……思い返すのもうんざり。
そういうのを赦すお母さんも見てたせいで私は恋愛と結婚は馬鹿のする馬鹿なことって思い込んでしまっていて、そういう話題に全然のれなくて友達も作りにくかったけど、よく考えたら小一のときから続く女の子同士の色恋話なんてそもそもずっと興味なかったから友達ができにくかったのは他にも理由があったはずで、偉そうとか生意気とか言われてたから主に私の態度がそうだったんだろうが、でもそんなの問題でも短所でもない。友達ができるできないなんて本当にただどうでもいいのだ。っていう態度がまずいんだろうけど。
友徳は反抗期だった。ありふれていてつまらない言葉っていうのも私をイラッとさせるけど、こういうパターン通りって言うか、ありがちで陳腐なのに迷惑な生き方って何とかならないのだろうか……。くだらないパターンってものにちょっとは抗えよ。工夫しろ!自分を見つめて考え直せ!本を読め!何が陳腐で薄っぺらいのか、物語を読まない人間には判らない。友徳が小説本を開いてるところなんて見たことない。お父さんの本棚にもまともな本なんて一冊も無い。でもお父さんとは違って友徳のことは好きだ。私は長女で、弟のことを守らなければって気持ちが静かに、深いところに敷かれていて、切り捨てることはできない……と言うか、本当のことを言うと私の脳裏にお父さんとお母さんの離婚の可能性がちらついていて、そうなったときに弟と離れたくないって用心の気持ちが強いんだと思う。親なんて先に死ぬ。再婚してしまえば私以外と新しい家族を作る。一人にはなりたくない。姉弟ならば、そばにいさえすれば関係は壊れない。とどこかで思い詰めていたせいか、私は中学生になってもひとつ下の友徳と同じ布団に寝ている。
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相変わらず舞城が書く「思慮深くてちょっとエロい女の子」は異常なほど魅力的だし
そこに家族愛が絡んでくるともう抗う術がない。降参。
まあまだ半分くらいしか読んでないけど。
んでも従来のぶっ飛びまくりな内容と比べたらかなりリアリティに沿ってるとは思うので
初めて読むって人にも割りとお勧めしやすいかもしれない。わかんないけど。
なんかこれ芥川賞の候補になりそう。そしてまた落選する。わかんないけど。
芥川賞って受賞者が表舞台に出てくるのが条件なんじゃないのって気がするし。
あ、舞城さんは覆面小説家なのです。性別すら不明。三島由紀夫賞受賞の時も出てこず。
基本的に80%くらいの人に拒絶されちゃうタイプの小説家だとは思うけど
はまる人は僕みたいに病的なまでにはまってしまうと思うので
芥川賞候補になった「好き好き大好き超愛してる」と今回の「ビッチマグネット」
お暇な人は読んでね。「好き好き~」は文庫化もされてるし。
って薦めてもタイトルが・・・って人多いんだよなあ。
そういう表面のつまんない事は気にしなさんな!
・・・んでまあ心地よい、素敵な感じでお昼寝したところ、素敵な夢を見る。
夢のことをはっきり覚える才能のある僕も本当の細部までは覚えていないので残念だが
世界が終わりそうで、友情や愛情や家族に対して色んな感情が爆発してて、世界がカラフルで。
現実の世界ってカラフルに捉えることは出来ても実際は決まった普遍的な色で構成されちゃってるから
夢の中でくらいはそういう楽しみ方をさせて貰ってもいいよね。
明日終わるかもしれない世界、昼になっても黒いままの空の下
ひたすら泣いている女の子と、友達と、橋を渡って海を見に行く、って場面が印象的。
空は真っ黒なのに空気がすこし青くぼやけていて海は青すぎるほどに真っ青でちょっと怖いけど
不確かな世界の中に確かにある生命力みたいなのを感じられて僕も女の子も笑うのだった。
夢の中で僕は恐らく・・・ってか絶対に彼女のことが好きで、だから笑顔が嬉しくて
でもそこにもう1人の友達が帯同していることに下心的な意味でもどかしさがあったりして。
目が覚めてちょっとしょんぼり。恋は終わった。
書いてて気持ち悪いけど素敵な夢なんて書き起こしたら大抵気持ち悪いもんだろう。
そういう部分をブログというある種の自慰空間ですら気にし始めたら終わりだと思っている。
閉鎖だ閉鎖。僕は気にしないので閉鎖はしない。
そういえば書き始めて9ヶ月か。よく続いてるなホント。
immi - クラクション
橋を渡る途中で僕のiPodのイヤホンを左右で分け合って音楽を聴いた。
なぜかimmiのクラクションだった。
退廃的な空気には合ってるけど泣いてる女の子に土壇場で暗い曲を聴かせるなんて
自分のセンス、配慮の無さに呆れる。夢を生む当人がダメだと夢の中でもダメだな、全く。
本日は1日予定がないハッピーデー。
僕が唯一贔屓にしているというか唯一買ってまで読みたいと思う小説家である
舞城王太郎の新作が発売になったので当然買う。書店の開店と共に買う。
長編の純文学作品。ビッチばっかり寄ってくる男の子とその家族の話。
相変わらず何が面白いのか説明し辛いけど圧倒的に面白い。
彼(彼女)の前では村上春樹もレイモンドカーヴァーも半周遅れだ。僕にとっては。
以下、新潮社のサイトで読める立ち読み部分。
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「すねなんか好きなだけかじればいいけど……」とお母さんが言う。「心はかじられると、痛いし、辛いし、ねえ、苦しいし……かじられた分、心ってのは削れて減るんだわねえ……」ダイニングテーブルの上は土曜のお昼ご飯の片付けが綺麗に終わり、椅子に座ったお母さんは凄く痩せていて、私はテーブル越しにあ、そうか、違うこれ痩せてるんじゃない、お母さん、減ってるんだ、と思って、言葉の真実味がひしひし、怖かった。
お母さんの心をかじっているのはお父さんと友徳(とものり)で、お父さんはそのとき浮気癖状態だった。毎日毎日カレーばっかり食べてられないだろ、とお父さんは言っていた。ハンバーグとかゴーヤチャンプルーとかたまには食べたいんだよってそれ、そういうありふれた言い方ってどこで仕入れてきたんだろう?くだんない言い回し。ゴーヤチャンプルーなんて中一のときの私は知らなかったけど、お父さんが馬鹿なのは知っていた。女の人を一品料理に喩えるなんて本当に底が浅いと言うか、人間ってものが判ってない。お母さんだけじゃなく、全ての女の人は、人間は、何か一つのものであったりはしない。むりやり食事に近づけて言うなら、少なくとも一冊の分厚いメニュー本ほどはあるはずだ。カレーも出すしハンバーグも出すしゴーヤチャンプルーだって何だって出てくるのだ。もちろん和食とか中華とかフレンチだのイタリアンだの人によってお店にもいろいろあるし雰囲気だって趣向だって違うだろうけど……だいたいカレーだってそんな、毎日食べられないってほど単純なものじゃないはずだ。だってインドの人はいろんなカレーを毎日食べてるんでしょ?この世にはいろんな具材や調味料があるから、スパイスの王国インドの人なら多彩なカレーを作れるはずだ。ってまあ私までカレーにこだわって喋る必要はないんだけど。とにかく私はお父さんのそういう、どこかで聞いてきたような薄っぺらい言葉を聞くのがホントに嫌いだった。俺は船でお前は俺の港だよ、とか……思い返すのもうんざり。
そういうのを赦すお母さんも見てたせいで私は恋愛と結婚は馬鹿のする馬鹿なことって思い込んでしまっていて、そういう話題に全然のれなくて友達も作りにくかったけど、よく考えたら小一のときから続く女の子同士の色恋話なんてそもそもずっと興味なかったから友達ができにくかったのは他にも理由があったはずで、偉そうとか生意気とか言われてたから主に私の態度がそうだったんだろうが、でもそんなの問題でも短所でもない。友達ができるできないなんて本当にただどうでもいいのだ。っていう態度がまずいんだろうけど。
友徳は反抗期だった。ありふれていてつまらない言葉っていうのも私をイラッとさせるけど、こういうパターン通りって言うか、ありがちで陳腐なのに迷惑な生き方って何とかならないのだろうか……。くだらないパターンってものにちょっとは抗えよ。工夫しろ!自分を見つめて考え直せ!本を読め!何が陳腐で薄っぺらいのか、物語を読まない人間には判らない。友徳が小説本を開いてるところなんて見たことない。お父さんの本棚にもまともな本なんて一冊も無い。でもお父さんとは違って友徳のことは好きだ。私は長女で、弟のことを守らなければって気持ちが静かに、深いところに敷かれていて、切り捨てることはできない……と言うか、本当のことを言うと私の脳裏にお父さんとお母さんの離婚の可能性がちらついていて、そうなったときに弟と離れたくないって用心の気持ちが強いんだと思う。親なんて先に死ぬ。再婚してしまえば私以外と新しい家族を作る。一人にはなりたくない。姉弟ならば、そばにいさえすれば関係は壊れない。とどこかで思い詰めていたせいか、私は中学生になってもひとつ下の友徳と同じ布団に寝ている。
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相変わらず舞城が書く「思慮深くてちょっとエロい女の子」は異常なほど魅力的だし
そこに家族愛が絡んでくるともう抗う術がない。降参。
まあまだ半分くらいしか読んでないけど。
んでも従来のぶっ飛びまくりな内容と比べたらかなりリアリティに沿ってるとは思うので
初めて読むって人にも割りとお勧めしやすいかもしれない。わかんないけど。
なんかこれ芥川賞の候補になりそう。そしてまた落選する。わかんないけど。
芥川賞って受賞者が表舞台に出てくるのが条件なんじゃないのって気がするし。
あ、舞城さんは覆面小説家なのです。性別すら不明。三島由紀夫賞受賞の時も出てこず。
基本的に80%くらいの人に拒絶されちゃうタイプの小説家だとは思うけど
はまる人は僕みたいに病的なまでにはまってしまうと思うので
芥川賞候補になった「好き好き大好き超愛してる」と今回の「ビッチマグネット」
お暇な人は読んでね。「好き好き~」は文庫化もされてるし。
って薦めてもタイトルが・・・って人多いんだよなあ。
そういう表面のつまんない事は気にしなさんな!
・・・んでまあ心地よい、素敵な感じでお昼寝したところ、素敵な夢を見る。
夢のことをはっきり覚える才能のある僕も本当の細部までは覚えていないので残念だが
世界が終わりそうで、友情や愛情や家族に対して色んな感情が爆発してて、世界がカラフルで。
現実の世界ってカラフルに捉えることは出来ても実際は決まった普遍的な色で構成されちゃってるから
夢の中でくらいはそういう楽しみ方をさせて貰ってもいいよね。
明日終わるかもしれない世界、昼になっても黒いままの空の下
ひたすら泣いている女の子と、友達と、橋を渡って海を見に行く、って場面が印象的。
空は真っ黒なのに空気がすこし青くぼやけていて海は青すぎるほどに真っ青でちょっと怖いけど
不確かな世界の中に確かにある生命力みたいなのを感じられて僕も女の子も笑うのだった。
夢の中で僕は恐らく・・・ってか絶対に彼女のことが好きで、だから笑顔が嬉しくて
でもそこにもう1人の友達が帯同していることに下心的な意味でもどかしさがあったりして。
目が覚めてちょっとしょんぼり。恋は終わった。
書いてて気持ち悪いけど素敵な夢なんて書き起こしたら大抵気持ち悪いもんだろう。
そういう部分をブログというある種の自慰空間ですら気にし始めたら終わりだと思っている。
閉鎖だ閉鎖。僕は気にしないので閉鎖はしない。
そういえば書き始めて9ヶ月か。よく続いてるなホント。
immi - クラクション
橋を渡る途中で僕のiPodのイヤホンを左右で分け合って音楽を聴いた。
なぜかimmiのクラクションだった。
退廃的な空気には合ってるけど泣いてる女の子に土壇場で暗い曲を聴かせるなんて
自分のセンス、配慮の無さに呆れる。夢を生む当人がダメだと夢の中でもダメだな、全く。

