(‘Θ‘)はまだ~ 30だから~♪
こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
本日めでたく、彼女がお誕生日を迎えました。
従って私たちは晴れて三十路カップルとなり、多くの人がマンション買うとかケコーンするとか子供が小学生になるとかいう・・・つまり大人の男女と認識される年齢となってきました。
で、そんなアダルトな私たちの間で今最も流行しているのが
「バァ~~カ!」
という言葉です。
この言葉の用法について具体的なスキットを用いてご説明すると
(`Θ´) 「英検って3級は面接ないよね」
(‘Θ‘) 「あるよ。3級も面接あるよ。」
(`Θ´) 「うそー、ないでしょ。なかったと思うけど。」
(‘Θ‘) 「あるって。私実際に受けたもん。自分は4級しか持ってないくせに、知らないでしょ?」
(`Θ´) 「・・・・」
(‘Θ‘) 「・・・・」
(`Θ´) 「バァ~~カ!」
(‘Θ‘) 「うるさい!バァ~~カ!バァ~~カ!」
このような感じで使用します。
(ちなみに英検については彼女が正しい・笑)
「バァ~~カ!」という何気ない一言に過ぎませんが、実際言われてみると想像していた以上にカチンと来ます(笑
そもそも30歳になると、人からバカと言われることはそう多くはありません。
また同じバカという言葉であっても「なによ!!バカバカバカ!!連絡くれるって言ったじゃない!!」というのとも違うし「この大馬鹿野郎が!」というのとも違う。
あくまでも「バァ~~カ!」であることが極めて重要です。
これは恐らく大多数の方が小学生の時以来かけられたことのない言葉だと思います。そのため幼いころ培った免疫は既に力を失っており、大人がかかるハシカのような強力なインパクトを聞く者に与えるのです。
彼女はこの流行語を、そこいらの小学生では到底かなわないような巧みさで操ることができます。
ほどよくタメて発せられ、なおかつ不必要に伸ばされた「バァ~~カ!」は、言われた相手が悶絶し床でゴロゴロと転がりたくなるほどの絶品!
30歳は伊達ではありません。
煩雑で入り組んだ現実社会のしがらみを捨て、瞬時に童心に返ることのできる魔法の言葉。
皆様のご家庭でも、この今最もホットなマジカルワードを是非ご利用下さい(`Θ´)
話は変わりますが、先日の記事でお話したピアノがついに到着しました。
届いたのは1週間前ですが、二人してずっと弾きまくっておりました。
言わずもがな、仕事なんぞは後回し アト(`Θ´)(‘Θ‘)アト
そしてこの新しいオモチャのおかげで、実は(‘Θ‘)が簡単な楽譜なら見ながら弾くことができるほど、かなりきちんとしたピアノの技術を習得していたという新たな事実が発覚・・・
一方私はミュージシャンだったこともあるし楽譜を書く仕事をしたこともあるにもかかわらず、情けないことに音符を一つずつ追っかけるような感じでしか読むことができません。
彼女はピアノの他にもソロバンやら英検やらなかなかの教育を受けていて、私は自分が子供のとき一体なにをやっていたのだろうかと思わされます(笑
また興味深いことに、彼女は譜面をすらすら読むことが出来ることについて、ピアノが届くまで自分でも認識していなかったようです。
実際に届いてオマケでついてくる譜面を見たら、それこそ文章のように音符を読むことが出来て自分でもびっくりしたというわけ。
こうして私が書いた文章を皆さんは読んで下さっているわけですが、全てひらがなで書いたとしても小学一年生より皆さんのほうが圧倒的に早く読むことが出来るでしょう。
そして何年も文字を読まなかったとしても、恐らく文章を読むのに遜色ないレベルは半永久的に維持出来るでしょう。
考えてみると、楽譜と文章の間には根本的な違いはほとんどないように思うんですよね。
どっちもサウンドを記号にしたもの・・という点では同じものです。
彼女が小学生の時に培った、音符を「読む」という能力は、現場から長く離れていても顕在でした。
それにしても、つくづく教育とは偉大なものです。
出来る人にとっては出来ない人の気持ちが分からなくなるほど、その能力が自分の一部に食い込んでいて、出来て当たり前の自然なことのように思えます。
例えば私は日本語を知らない外国人が日本語の文章を見たとき、どんな風に感じるのか見当もつきません。まぁたぶん私がイスラム語の文章を見た時みたいな感じなんだろうなーくらいしか分からん(`Θ´)
私たちが日本語を一目見ただけで自動的に意味が頭に飛び込んでくるのと同じように、きちんと鍛錬した人は音符を見ただけで音楽が流れるんだろうなーなどということを考えていたのでした。
映画「アマデウス」では、モーツアルトの楽譜を見たサリエリが激しい衝撃を受けて自信を喪失するシーンがあります。
サリエリはモーツアルトの作風やら斬新さやら美しさに驚愕したのでしょうが、私に言わせれば見ただけでフルオーケストラのスコアを脳内で再生できるサリエリのほうが驚きの対象です(笑
いいよね、なんか。羨ましいです(`Θ´)
今私がピアノで練習している曲はこちらの記事 でもご紹介したショパンの幻想即興曲という曲です。
中学校の時に覚えた部分はこの一週間で取り戻すことが出来ました。そんで今ようやく2ページ目の終わりくらいまで到達したのですが、16分音符のクロマチックが2オクターブ続く難所で苦戦しています。
とりあえず指番号を全部書いておいて欲しい・・(`Θ´)ゼンブ
ところで、私はピアノでもギターでもパソコンのキーボードでも一環した練習方法を採用しています。
とにかく繰り返す!
これに尽きます。
そもそもこの幻想即興曲という曲はシロウトが手出しするようなものではありませんが、それでも私にとってははこれがベスト・オブ・ピアノミュージックなのでどうしてもこの曲が弾けるようになりたいのです。
この情熱さえあれば1小節を100回繰り返して練習するのも苦になりません。
そんでね、不思議なことにバイエル未経験者でも100回繰り返したら弾けるようになるんですよね(笑
ちゃんと習っている人にはかなわないと思いますが、とりあえずCDと同じ早さで間違えずに弾くことは出来ます。失敗することもありますが、ずーーーーーーーーっとバカみたいにやってれば成功率はどんどん上がり、最後にはショパンを冒涜しない程度にちゃんと弾けるようになると信じています。
楽譜を読むことが出来るのも、指が動くようになるのも文字が読めるようになるのも、結局は繰り返して練習した結果でしかあり得ないと私は思います。
また個人的な考え方によれば、この繰り返し練習を経ずに何かが出来る人のことを「天才」と呼びます。
彼女が楽譜を読めることをすっかり忘れていたのと同じように、私がなんで文字を読むことが出来るのか忘れてしまっているのと同じように、大人は自分の能力が繰り返し練習で培われていることを忘れてしまいがちです。
大事なことをすっかり忘れてしまっている大人の理屈だけで教育を考えるのは極めて危険なことです。
繰り返し練習をする時間を奪っておいて「考える力を」とか言うスタイルの教育は、天才を相手にしているのでない限り絶対に成立しない、破綻した考え方だと思っています。
しかし逆に言うと、繰り返して練習してさえいればたいがいのことはいつか出来るように絶対なりますので、そういう意味では私は自分が天才でないことを認めて、同時に自分のことを信じているのです(`Θ´)
ところで、彼女はこの「幻想即興曲」というタイトルを上手いこと発音することができません(笑
(‘Θ‘) 「幻想即興キョック!!幻想ソッキョッッ!!」
(`Θ´) 「バァ~~カ!」
↑
30歳
(‘Θ‘) 「うるさい!バァ~~カ!バァ~~カ!」
↑
30歳
そんで結局彼女は、この作品の名前を「幻想曲」と勝手に短くしてしまったのでした(笑