スラッカンの言説 | 複雑系レトリック~自営業白書~

スラッカンの言説

シャッター祭り

(実家近くのシャッター街 すごいよ)


こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?



俺だってスラッカンのチェゴサングン様のようになりたい!!!



いや、なんでもないです (`Θ´)スルーシテ
                 
↑「チャングムの誓い」欠かさず見ている





2006年がスタートして早いもので1ヶ月以上が経過しました。

ところが私がこれからはじめようとしているのは、やはり正月の話です(笑

くどいようですがお聞き頂ければ幸甚です(`Θ´)





私が毎年足しげく帰省する理由の大きな部分に、古くからの友人に会えるということがあります。

もうすぐ30歳を迎えようとしていますが、この年齢で15年のつきあいがある友人がいるというのは本当に有り難い話。




毎年必ず大晦日の夜になるとやってくる二人の友人は、いつも通り私の実家で年を越します


そもそも「自分の実家にいなくてもいいのか?」という疑問も湧くのですが、もうかれこれ10年くらいこうして我が家で正月を迎えるのが恒例。

どんな話題にでもやたらと切り込みたがる私の父親も、彼らがほどほどに相手をしてくれるので(笑)この日を楽しみにしているようです。





この友人のうちの一人は今でも大学で勉強をしているのですが、何故か毎年必ず違う友人を連れてきては私に会わせてくれています

今年彼が連れてきたのは大学の仲間で、既に結婚している二人の男女でした。


私の友人を含めて彼らは3人とも文学を勉強していて、私は私で海外の文学に興味がありますので、わりと話が合ったりもします。


「風と共に去りぬ」が取り扱う黒人奴隷の問題、いったいどっちが裏でどっちが表なんだろうか・・・とか・・メルヴィルはクジラを魚だと思ってたとか・・

極めてマニアックでアカデミックな話題に花が咲きました(`Θ´)





さて、この大学の仲間夫婦・・・実は彼らは社会的にマイナーな選択をしている興味深い人たちでした。

具体的には、男性が家事を受け持つという・・・つまり主夫ってやつですね。

そんなわけで必然的に料理の話題にもなったりして・・(`Θ´)





今の日本では男性が外で働いて女性が家事を担うというのは多数派の選択だろうと思います。

ところが、少し考えてみると分かることなのですが、これはもともと社会が規定するような範疇の話ではありません。



本当はもっとシンプルですよね。

合理的であったり、当事者がよく話し合って「こっちがいいな」と思う方を採用すりゃいいです。

なんつっても誰にも迷惑がかかりませんので、本来は「どっちでもいい話」だと思っています。



ところが・・・


実際、(いわゆる)一般家庭のモデルケースに合致しない人生は制度的に損をすることがあります。

例えば家族を養っている人は税金が安くなります。また、サラリーマンは非常に優遇された税金の控除を受けることができます。

つまり、そうでない人は別段正当な理由がないのに損をしていると見なすこともできます。



しかし、だからといって「こうあるべき」という話には到底なり得ません。


扶養控除を受けてサラリーマン特別控除を受けることが正義ではありません。
そんなもん、好きなほうを自由に選べばいいだけの話です。





そんなこんなで私たちは「自由ってなんだ」みたいな話をし出したんですね。

私に言わせれば、この主夫になる決断をした彼は極めて自由な人です。





私たちの社会は一定のモデルケースを確かに提示していて・・

男性ならば「大学を出て会社に入って嫁さん貰って年金を貰う」
女性ならば「大学を出て会社に入って寿退社して二人子ども生む」


このモデルケースがあなたにぴったりフィットしていれば選択は楽かもしれません。



ところがこのモデルケースがフィットしていない場合に問題が発生することがあります。

葛藤があるかもしれません。社会が提示する「当たり前」から外れていて、疎外感を感じるかもしれません。人のせいにしたくなるかもしれません。他人にとやかく言われることもあるかもしれません。


だけど本当のところ、社会が提示する「当たり前」のモデルケースなんてものは「所詮一例に過ぎない」ことは誰でも知っています。


誰でも知っているけど・・分かってはいるけど、それでも私たちがそうしたものにとらわれてしまうのは何故でしょうか




私は、自分にたいして制限をかけているのは社会ではなく、自分自身であることのほうが多いのだと考えています。

人と自分が違うことに対して、恐れを抱く必要はありません。

後ろめたく思う必要もありません。




主夫を選択した彼は既存のナラティブ(物語としての自己)に縛られない、極めて勇敢で自由な人なのだと思いました (`Θ´)





ちなみに私、eiさんの受け売りでナラティブとかいう言葉を使っていたらずいぶんカンゲキされました。


「グランドナラティブ知ってる高卒ってフツーじゃねぇ」



(`Θ´)ハハハハハハ ← 一応専門卒なんやけどね




に飛び級出来るとまで言うて下さって・・・誉められ上手の私としては諸手を挙げて喜ぶ他ありません。



興味深い話も沢山聞けたし、なかなか刺激的な出会いでした (`Θ´)




あ、それと申し訳ありませんが、正月の話あと一回させてもらいます(笑

よろしくお願いします。







この日覚えた単語 : 言説 (げんせつ)
 
フーコーさんのディスクールという言葉から来ているようです。私の理解で簡単に申し上げると、思いこみ・・偏見・・既存のイメージ・・みたいなことか?←極めて自信なし

くだんの彼は言説に縛られずに自由な選択を行ったということです。

余り物で料理をしなければならないのに、民が買うことのできない高価な牛乳を使って汁を作ったチャングムは言説に縛られていたのです。←わかったわかった